『幽』8号
と”ゐです。あっという間の年の瀬です(-.-;年越したらまたあっという間なんだろうなぁ……なかなか皆様にお会いできないのでお渡し損ねているのですが、『幽』8号の「怪談考古学」コーナで短文を書かせて頂きました。できることなら『幽』8号を皆様にお届けしたいのですが、さすがに経済的判断から躊躇せざるをえず、申し訳なく思っております<(_ _)>とはいえ話題にならないのも哀しいので、ここで紹介させて頂きました。立ち読みでもかまいせんので、ご意見頂戴できれば幸甚です。
何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。
と”ゐです。あっという間の年の瀬です(-.-;年越したらまたあっという間なんだろうなぁ……なかなか皆様にお会いできないのでお渡し損ねているのですが、『幽』8号の「怪談考古学」コーナで短文を書かせて頂きました。できることなら『幽』8号を皆様にお届けしたいのですが、さすがに経済的判断から躊躇せざるをえず、申し訳なく思っております<(_ _)>とはいえ話題にならないのも哀しいので、ここで紹介させて頂きました。立ち読みでもかまいせんので、ご意見頂戴できれば幸甚です。
と”ゐです。最近、民俗学関係の仲間と話す機会が数度あったのですが、そこで繰り返し話題の中心となったのが、民俗学黎明期ゆるやかな場がいかに構築されていたか?と、現在のわれわれが置かれている状況下いかにゆるやかな場を確保するか?でした。前者は学史的興味関心であるわけですが、翻ってわれわれ自身の足下を再考せずにはおれません。後者は制度的に供給されるわけでなく、むしろ大学や学会などの制度から常に侵蝕される状況だとの認識で一致したのが民俗学の現在だったりするわけですが、皆様の関わる領域はどうなのでしょう?気になるところです。
もろです。
南山宗教文化研究所「科学・こころ・宗教」プロジェクトのAAR報告はたいへんありがたいし、おもしろいですね。
中でも目に付いたのはRichard J. Callahan「石炭の力――中央アパラチア地帯における発展と魔術化」という発表(アメリカ宗教学会(AAR)サンディエゴ大会に参加して(2))。石炭産業の発展によって迷信などがなくなったのは、単なる民俗文化の衰退ではなくて「石炭という岩がもつ「力」に魅力を感じる主観的フェティシズムなのであり、魔術性は姿を変えて継続したともいえる」とのこと。最近、コンピュータの宗教性みたいなことをブログにちょっと書きましたが、当時最新テクノロジーだった石炭だってそうだったんだよなーと納得。
どゐさんから教わった公開研究会「UMAのいる科学史」に参加してきました。大海蛇の話とツチノコの話でした。というと何のことやらですが、ようすれば、近代と科学の徒花としてUMAをめぐる言説を読み解く、とかそういった試みで、まさに霊学ネタと同じ問題意識で、おもしろかったです。実際、発表者のお二人の子供の頃から好きで~との由で、そうだよなと納得。参加者は好き者揃いでした。
総合討論のところでは、伝聞・引用の蒐集→報告者自身の直接観察(視覚の特権化)→訓練された専門家による観察といった科学の制度化との関連で議論がなされ、その制度化に際して専門家(科学者)から排除されていく人たちが、16世紀の伝聞史料を証言の補強とするようになって19世紀にいっぱい復刊されたとかいった話を聞くと、うーんどこかで見聞きした話だなあと。やっぱりつながっていくのね~。
ツチノコを発表されていた伊藤さんは現在台湾の大学で勤務されているそうで、このテーマで出張申請したらさすが日本と言われたそうです。彼の地こそ、霊学が現代にいきいきとしているんですけどね。しかし(いや、だからか)、同時に強烈に近代知識人(というか儒教的士大夫)意識も濃密なので、アカデミズムにそれのっけんの?というツッコミもまた自然に出てくる訳です。のっかるどころか科研費まで取ってるあたり、さすがというかうらやましい。
最後の討議で、写真の効用と妖精はUMAに入るのかという質問をさせていただきました。柳田国男が口承オンリーだったのに対し、渋沢敬三は文物メインだったとか。コロポックルの写真とか残ってないのかな。最近、仙人の写真を見たりするので気になります。日本近代だけで見ると霊の物神化(そしてそこからの商品化)になるのかもしれませんが、近代中国まで視野に入れると、気の理論が濃密にあるだけに、話はもう少し複雑になるような気がします。
気が付けば忘年会予約で手帳に埋まりつつあると”ゐです(^^;単にアチコチに顔を出し過ぎなんですが……でもまだ若干の余裕がありますので、是非とも皆さまと「今年を振り返る」企画を催したいものです。とりあえずこの四谷会談を立ち上げたわけですが、それぞれの事情(=多忙さ)がおおよそ判明したことで、今後の展望もより具体的につけやすくなったのではないかと愚考する次第です。いかがでしょう?
ほうじょうさんのブログでも紹介されてますが、「異界からのぞく歴史」の企画会議と称して四谷に呼出されていると”ゐです。タイトルからすぐさま『異界が覗く市街図』を想起するのは、世代が知れる、になってしまうのでしょうねぇ・・・・・・
北條です。と"ゐさん、もろさん、いつも情報ありがとうございます。紹介していただいたもの、買わねば!と注文してみるのですが、なかなか読む時間もなく日は過ぎてゆきます。
ところで、関東在住の「四谷会談」日本研究関係者(佐藤さん、工藤さん、と"ゐさん)に声をかけ、来年上智大学のコミュニティ・カレッジで、「異界からのぞく歴史—江戸の街角からアジアへ—」という5回ほどの講座を企画しています。このあいだの町歩き前後から考えていたのですが、ウチの大学の「地域密着型構想」の一環でもあります。内容としては、江戸から現代にかけて語り継がれてきた〈異界〉をめぐる諸伝承にスポットをあて、宗教学・民俗学・歴史学等々の視点で考察し、極めてローカルな事象からアジア全域へ広がるような通路を見出そうというものです。それ自体、〈異界〉への道を開く鍵になればいいなあ、と考えています。全5回、各1名講義を1回ずつに、最後は伝承関係地をめぐる議事フィールドワーク。まだ皆さんに承諾をいただいたばかりで、海のものとも山のものともつきませんが、四谷会談の場を借りて、予備報告などもできればと思います。成功すれば、毎年、四谷会談チームの共同?研究報告の機会として活用したいですね。
さて、と"ゐさんから忘年会の話が出ました。単に集まって飲むだけでもいいでしょうが、皆さんそれなりにお忙しいでしょうから、何か+αが欲しいですね。夏の会の懇話の方はちょっとグズグズだったので、今度はもっと意味のある時間にしたい。やっぱり誰か報告した方がいいかなあ。『宗教的言説』の取り立てを受けているぼくとと"ゐさんが、投稿内容を……といっても、その投稿自体が遅れるだけのような気がするので、やめておいた方が無難ですか。15分くらいのネタを数人で持ち寄る、という手もありますが、誰かいかがでしょう。
高崎線沿線は空っ風の吹き荒ぶ季節が始まりました(これからもっと厳しくなりますが)。皆様のところはいかがでしょうか?と”ゐでございます。
ところで忘年会は……って提案しても、何かしら集まる理由が欲しいところです。もっとも、もうしばらくでこの雑誌の最終号が出るとのことなので、その輪読(とゆーか一気に読むこと)を皆様とともにするのも一興かと(^^;
NHK「歴史に好奇心」今月分をすっかりチェックし損ねておりショックが大きいと”ゐです(T^T)初回は井上“妖怪ハンター”円了だったのに!もう教育での再放送は終わったらしく、あとは総合での再放送待ち(日程はこちらから)ですが、「国会中継等の特別番組」で予定変更も頻繁の様子。しかもこの月末連休絡みなので、あちこち移動せねばならない時期に重なり・・・・・・とりあえずテキストを購入します。
もろです。久しぶりの書き込みですいません。
今朝の京都新聞に紹介されてたんですが(京大の先生だから)、稲垣直樹『フランス〈心霊科学〉考』(人文書院)というのが出版されたようですね。
本書は、井上円了、平田元吉、高橋五郎、福来友吉、山川健次郎等々の特殊日本の「心霊科学」をも視野に収めつつ、そのルーツであると同時に、なによりもまず、宗教と科学をめぐる今日的な課題を照射するひとつの有力な光源である欧米近代の「心霊科学」の社会思想的背景を一次資料まで踏査し、その展開の代表例をヴィクトル・ユゴー、アラン・カラデック、カミーユ・フラマリヨン等の営為のうちに探る「知の考古学」である。とのことで、フランスだけではないようです。
前回皆様にお会いしたのは、まだまだ〈寒さ〉など感じることもない季節が最後だったような……「折口信夫の沖縄」は本日初回でしたか、気付いた時にはすでに別の予定を組んでおりました。拝聴できないのが残念ですし、それ以上に皆様とお目文字する機会を一回減らしたのが悔やまれます。
とはいえ単に仲よしこよしの集まりとは違うわけですから、何か相互の情報共有ができないだろうか、と頭を捻りまして、せっかく様々な領域の方々が集うわけですから、ここにそれぞれが定期購読したり偶々目にしたりした雑誌の紹介をしたらよろしいのではないか?と考えたと”ゐです。
たとえば最近と”ゐが手にした『文化人類学』72-2には、「論文」として
何年前くらいからでしょうか、カケンの申請に際して、この研究に年間全仕事時間の何%を割くのか?との欄を書かねばならぬことに、そもそもそのような時間を管理しようという発想自体が云々と考え込むと”ゐです。気付いたら「若手」研究やらに申請できる最終年。ガクシンの資格年限を超えた時もシミジミしたものですが……
標記の研究会(科学言説研究プロジェクト第4回公開研究会&日本科学史学会生物学史分科会2007年度シンポジウム)が12/9(日)に工学院大学新宿校舎で開催される案内メールを貰っていたので、野村さんの投稿に共鳴するなぁと独り感心していると”ゐです。
メールは転送自由とのことですが、ブログへ転載はとりあえず控えます。興味ある方はと”ゐまでメールください。折り返しご案内差し上げます。
でも年末はアレコレ日程被りますよね。この日もすでに予定が入っていて、私自身は参加できないので残念なのですが。。。
道教研究仲間と霊学研究会をやってて、定期的に読書会をしてる関係上、たまたま別の資料を探しているときに霊学をキーワードで検索したら、『科学大綱』なる翻訳書の第七巻(要DjVu)に科学の一領域として霊学が組み込まれて一章立てられていることを知りました。この書物の素性がどうなのかとか、その部分の著者がオリバーロッジだったりしたりとか、まあいろいろあるわけですが、それでもやはり霊学は科学だった(と受け止めていた人たちがいた)のだなあと改めて納得した次第。中国の資料で最近読んでるのは、神様が降りてきてエーテルの解説したりする同人雑誌の類なので、もう少し科学よりのはないかと思ってたところだったんです。
で、訳語/術語の流通を考える上でもきちんと読まなきゃとデータだけはダウンロードした後に、第一巻の序文が192 3年に書かれたものだったので、ひょっとして日本にもあるんじゃないの?と思ってとりあえずググったら、 寮美千子さんという方の宮沢賢治研究のページが見つかりました。日本では『トムソン科学大系』として1922年から訳出されていました。目次が引用されてたのでそれを見ると、中国語版と冊数は違えどまったく同じ構成でした。んで、日本語版では霊学が「心霊学」になってます。なかなかぐっと来る内容です。
ちなみに寮さんの祖父寮佐吉は大正末期から昭和初期にかけて科学ライターをされていたそうです。こういう情報が記録されているのは本当に有り難いです。宮沢賢治ネタは北條さんの記事ともリンクするなーと思いつつ、とにかく現物を見なくてはと、近代デジタルライブラリーになかったので、図書館に紹介状を書いてもらう手続きをしたのでした。
まだ手をつけたばかりですが、積み残しにならないよう、ブログで書いてやる気を示してみた、というわけで。どっとはらい。
『電脳コイル』で、鍵穴=前方後円墳を見せられたとき、諸星大二郎よりもむしろ「『キン肉マン』かよ!」とツッコミ入れたのは、私だけではないことがググってすぐに判明したので、それはそれで凹む要因だったりすると”ゐですf(^^;
ほうじょうさんから反応いただいた『紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代』については、朝日新聞で書評が出てましたね。著者がリキ入れている理論編について「難解すぎて歯が立たない」と一言でバッサリ!なのは、失望すべきかそれとも我々に残された課題だと喜ぶべきか。ひとまず後者の立場にしておきましょう。読書会、したいなぁ。。。と言い出しっぺながら棚上げにしたままの本もあるから、なかなか切り出せずにおります(-.-;
それにしても目移りしますよね、自分がやらなきゃいけないことがある時に限って(苦笑)
と”ゐさん、ずっと自分の責任を全うしてくださっていてありがとうございます。9/10からこっち、周辺が騒がしく、こちらへ投稿する精神的余裕が生まれませんでした。自分のブログでも、四ッ谷歩きをアップできていません。しかし、『江戸明治東京重ね地図』を手に入れたので、今度歩くときは、いろいろと前準備ができそうです(発行元に問い合わせ、vistaでも動くことを確認しました)。ま、何も持たずに〈古い空間〉へ足を踏み入れてゆくのも、ハプニングやサプライズがあって面白いものですが(『コイル』の異界への扉は鍵穴でしょうが、どうも前方後円墳にみえてしまう。そういう含みを持たせていることは確かでしょうが、ちょっと方向を変えると諸星大二郎になってゆきますね)。しかし、上の地図で幕末期の江戸の様子をみていると、さまざまに発見があります。会津松平容保の屋敷の真正面に土佐の支藩の屋敷があったり、お互いにどういう態度で向き合っていたのか考えてしまいます。黒船来港から明治維新までの両屋敷の関係を探るだけでも、面白い研究ができそうです。そうそう、ウチの母の実家である信濃町の林光寺ですが、周囲が伊賀組の集住地になっているんですね。ぼくらがいった服部半蔵の西念寺も近いし、う〜ん、一体何なんだろうと興味は尽きません。
そういえば、8月末に環境/文化の方でお話しした柳の件、9月末にいってきた金沢文庫の特別展「陰陽道×密教」で、新しい発見がありました。この展示、中世に最高の修法として隆盛を迎えるダキニ法について、称名寺聖教の主要史料を網羅・解説するというかなりコアなものだったのですが(しかも図録にはそれがほとんど翻刻されていた!買うべし!)、そのなかに男女を結びつける秘法として柳を用いる術があったのです。まさに、楊柳から東アジアに展開してゆく〈柳が男女の出会いを媒介する〉モチーフそのもので、中世以降に列島へ拡大する柳女房譚の下地のひとつが、きっとここにもあるに違いないと感じました。さすが金沢文庫(というか西岡芳文さん)、特別展にやってくるたびに新しい発見があります。
ところでと”ゐさんの紹介されていた『紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代』、面白そうですね。最近、怪異ものは近代の方が面白いな。『幽』の考古学も毎回ちゃんと読んでますが、当たり前のことながら、怪異が事典的・断定的に記述されてゆくことには少し違和感を覚えますね。そういう形で叙述できないのが怪異じゃないの、と。いやしかし、それをコントロール可能なものにしてゆくのが某学会の意図なのか...。そうそう、以前、野村さんが話題にしていた表象文化論学会のシンポも、会誌としてちゃんと刊行されましたね。遅ればせながら、このあいだ大学の購買でみて購入しました。う〜ん、やっぱり『ルプレザンタシオン』みたい。中身も何やら懐かしい論調です。
最後に部会報告。夢班は、来年度首都大OUが「あの世」を取り扱うことになりそうなので、「あの世班」に名称変更?になるかも知れません。ぼくは生涯学習で夢の記録を読み続けていますので、また発表させていただくこともあるでしょうが。
『幽』に連載されている「怪談考古学」を一気読みしているんですが、皆さんはそもそもそんな連載が存在することを御存知でしたか?……とググってみてはそんな素朴な疑問が増殖中のと”ゐです。また何やら物申さねばならぬ状況になってきたようで……
昨夜フルヤノモリに少々悩まされたと”ゐです。この催しにこれから参加するのですが、台風の余波で移動手段(=電車)がどうなっているのか心配です。また後ほど報告します。したが全く問題なく、無事に参加することができました。
今回、職人さんたち相手のシンポを司会する、という(このブログに集う皆さまからすれば全く無関心の領域での)お仕事を頂戴したのですけれども、そこでのキーワードのひとつが〈身体化された知識〉だったのです。もちろんこの術語が聴衆にどれだけ理解されたのかは疑問(むしろ、技を身につける、とでもすべきだったかも)ですが、調査する側/される側、評価する側/される側の双方がシンポのパネラおよび聴衆として並んだのは、ポスコロだ人類学だポジショニングだと最先端の議論を持ち出すまでもなく、きわめてスリリングな現場でした。職人さんはまさに実践者なわけで、実践や身体といった問題を考察する際のヒントを頂戴しながら、どのように〈夢〉や〈真怪〉といった文脈に乗せることができるか、今後の私自身の課題です。
と”ゐ@東奔西走中ですf(^^;その途中でも、金曜はここを更新できる契機が巡ってきます。何ともありがたいことです。さて、ほうじょうさんご提案の件、もちろん日程さえ会えば大賛成です!東雅夫さんが編集されている、ちくま文庫で刊行中の文豪怪談傑作選シリーズで、ついに『柳田國男集』が登場しましたので、それでおさらいした上で臨むこととしますね。
ご無沙汰しています。声かけ役にもかかわらず、と”ゐさんにばかり書き込みを頼っていて申し訳ありません。いやいや、8/1まで講義、直後に秋田ゆきとゼミ旅行、お盆、採点と飛ぶように過ぎまして、ようやく研究休暇(執筆期間)をいただいている感じです。
ところで、首都大の夢講義期間中に佐藤さんと「怪奇を語り合う場を設けよう」という話が出ていまして、先日も武田さんから「四谷会談メンバーでとにかくお岩稲荷にゆきましょう」との声が挙がりましたので、ここで何かやらなきゃいけないなと思い定めました。夢に関しては6〜7月に一定の成果がありましたので、やはり今度は〈真怪〉でしょう。そこで佐藤さん、武田さんのアイディアを取り入れ、というかパクり、お岩稲荷に参詣してから怪異とは何か、恐怖とは何かを語り考える懇話会を行うというのはどうでしょう。とくに報告者は定めず(いてもいいんですが)、資料はみんな持ち寄りで(プリントあってもよし、実物でもよし)、この話のここが怖い、この映画のこの表現はよい、といったところから、人間にとって恐怖とは、怪異とは、というところまで話が進められればいいなあと。このメンバーなら、縛り自体は緩くても生産的な話ができそうですしね。DVDは観られるようにしておきますので、宗教学会大会までに実現しませんか。
で、宿題として中田秀夫『怪談』は観ておくと…。
ご意見お聞かせください。下は最近どどっと購入した〈真怪〉分野関係本の一部。遠野市立博物館で、賢治と遠野の関係を考察した図録も購入してきましたよ。
たまたま遭遇した、豚の顔を解体する(=肉を削ぎ落とす)現場の画像をアップします。この現場を撮影しつつ頭に浮かんだのは、梅棹忠夫さんのエピソードです。
うろ覚えで申し訳ありませんが、こんな話です。梅棹さんが京大人文研にいた頃、論語(あるいは四書五経のいずれかだったかもしれません)の読み方について、人文研東方部の同僚に問い質したそうです。モンゴルのフィールドワークで屠畜を見慣れた立場からすると、この部分はこう読むべきではないか、と。その顛末までは覚えていないのですが、フィールドワークと古典とが遭遇するエピソードとして、と”ゐとしては印象深い話です。
日本や中国の古典を扱う人たちが集うこの場でお披露目するのも意義深いかと思い、投稿します。
ようやく正規の授業を終了したと”ゐです(-.-;納涼会でもどうです?との声を上げる気すら削ぐほどの暑さ……帰宅して少し落ち着いたところで、来月15日に開催される宗教学会学術大会@立正大大崎キャンパスでの公開シンポジウム「宗教における行と身体」を想い出しました。もしこのメンバで参集されるならば、引き続いて意見交換会も含め納涼会しませんか?その夜は学会としての懇親会もありませんし。。。
ここで、内容は公式サイトを参照下さい、で済ませりゃ楽なんですが、新着情報がPDFファイルとWORDファイルしかないってそりゃなんだ?……てなわけで以下に講演者を列挙します。
皆様、大変ご無沙汰いたしております。京都は暑いですが、東京も暑いですね・・・。土居さんの書き込みにありましたように、先週の金曜は首都大のオープン・ユニバーシティー講座の第一回を勤めてきました。この夏の講座も今年で三年目になります。昨年から続けて受講してくださっている方が、幾人かおられますし、三年連続受講してくださっている方も一名居られるようです。昨年より少しばかり受講生が減ったのですが(天皇制批判をやったからに年配の方の不興をかったに相違ない!)、固定客が付くことは有り難いです(今年は政治的な主張は一切控えます)。
さて、来年から大学院を修了し「肩書き無し」になっている可能性が高いのです。あぁ、非常勤先を何とか確保しなくては・・・と気持ちが焦る今日この頃です。どうも私事で失礼いたしました。
非常勤先は授業が終わりましたが、本務はまだ来週一杯しっかり正規の授業があると”ゐです。でもこのメンバには(よりによって)今月OUご担当の方もおられるとうかがっておりますので、おそらくはご当人による投稿があるかと期待しておるところです(^^;
さて暑い日々が続きます。それこそお盆にはフル回転のメンバもおられます。どうぞご自愛くださいませ。
飯田橋では“伝説の講師”ブルースSato氏の謦咳に接することができ、また(僅かな時間でしたが)参集された皆様と懇談できまして、と”ゐは大変面白い夜でございました。興味深いことに、今回の夢見シリーズでは見事に〈近世〉が跳んでいる……ちょっと埋めてみたい枠ではあります。
一方で夢見の実践に必要不可欠ともいえる「解釈共同体」の問題もまた興味深い。真怪の問題につながる怪異・妖怪文化もそうですが、誰とそのリアリティを共有し情報交換するか?は重要なポイントですよね。講義@飯田橋で最後に拝見したビデオなど、宗教(的)結社の光景としては馴染み深いものです。ただそれを「夢」の領域のみで切り取るのか、それとも日常生活全般(「夢」に対すれば「現」?)に拡張するのかの違いはありますけれども。
別の興味として「解釈共同体」とググると、マンガ評論・研究関連のサイトが目に付きます(^^)「解釈共同体」という用語が、それこそどの解釈共同体で流通しているのか、これまたチェックしておきたい問題です。
と”ゐさんから夢見班最終日に参集の呼びかけがかかっていますが、お手すきの方、どうぞお越しください(その場合は、猪股さんに一報を)。佐藤さんのコアな講義が聴けます。きっとそのあとはカラオケ大会になります?
ところで、ぼくの上智での夢見講義も、昨日の金曜で最終日を迎えました。毎度のことで中国に時間をかけすぎ、『書紀』『古事記』あたりはまだしも、平安時代は本当に駆け足になってしまったので、来年にでも「純日本版」をやろうかと考えています。
準備の途中でいろいろ興味深い発見があり、夢見班の飲み会では意見交換をしたりもしたのですが、最後に中世にかかる仏教の夢を概観していた際、表題のごとくに、〈鎌倉仏教(という呼び方には抵抗があるので一応〈〉付き)〉の祖師たちが特徴的に女性との関係を夢見ているのが面白いなあと思いました。
まず、明恵の『夢記』についてはちゃんと読んだことがなかったのですが、三品さんにも教えていただいてざっとみたところ、次のような記事がありました(承久二年の巻、岩波文庫版p.88〜89)。「同十一月六日の夜、夢に云はく、(割書:其の初夜の行法は、抑坐禅して行法を修せむと欲する間也)一屋の中に端厳なる美女有り。衣服等奇妙也。而るに、世間之欲相に非ず。予、此の貴女と一処に在り。無情に此の貴女を捨つ。此の女、予を親しみて遠離せざらむ事を欲す。予之を捨てて去る。更に世間之欲相に非ざる也。此の女、糸金を以て様々にからげたり。又、此の女、大刀を持せり。/ 案じて云はく、女は毘廬舎那也。即ち是、定めて妃也…」。『夢記』には多くの女性(実在の人物含む)が登場することは三品さんも指摘されていましたが、夢に現れた美女を毘廬舎那仏と解釈するのは面白い。観音や吉祥天ならともかく、如来に女性のイメージを重ね合わせてゆく発想は、前例か何かあるのでしょうか。「世間之欲相に非ず」を強調している点には、かえって性的な印象がうかがえますし、「突き放しているのに身を寄せてくる」というのも、本願他力的で注意を引きます。
こういった明恵のような性的夢は、同時代の慈円や親鸞にもみることができます。『慈鎮和尚夢想記』 は王法仏法相依論のひとつですが、自身のみた夢を解きながら、三種の神器のうち玉璽を玉女=皇后とみたて、剣である自体清浄の天皇との交合は、罪にならないばかりか国家の安定を象徴するという論理を展開します。これは慈円自身に関わる夢解きではありませんが、性の現実と仏教の齟齬をいかに解決するか、という点では上記の明恵に共通するものがあるでしょう。親鸞の六角堂夢告の方は、もはやいうまでもありません。夢に救世観音が現れ、「行者が宿業によって妻を娶らなければならないときには、私が玉女に姿を変えて交わり、極楽へ導こう」と告げます。いわゆる「女犯偈」ですね。類似の文句は『覚禅抄』に如意輪観音の言葉として出てくるので、聖徳太子信仰のなかで親鸞に〈主体的に発見〉されたものと思われます。『大日経義釈』巻十三には、悪道に落ちようとしている女性が性交渉を求めるなら菩薩はそれに応じ、そのうえで真理の世界へ導いてゆかねばならないという論理が出てきます。「女犯偈」はその主/客を転倒した世界なので、成立の背景に救済する側/される側の転換があるように思います(浄土教の成立とも関係があるかも知れません)。『霊異記』中十三/吉祥天の説話からの展開を考えても面白いでしょう(ひょっとしてこのテーマ、ぼくが休みのときに三品さんがとりあげたかも知れませんが)。
〈女性と仏教〉の観点からはいろいろ議論のあるところですが、「男性僧侶による性衝動の正当化」というミもフタもない結論ではなく、夢と仏教、そして修行と身体性の問題からみてゆくと何か掴めそうです。〈玉女の精神史〉というテーマでも、古代から近現代まで書けそうです。最後に従軍慰安婦の問題もちゃんと組み入れて。
すでにニュース等でご存知の方もいるかと思いますが、8月26日に太秦映画村で「世界妖怪会議」が開催されるそうです。何が「世界」なのかはいまいちよくわかりません (^_^;;
史学雑誌『回顧と展望』号が出ましたね。まだ未入手なのですが、こんな紹介されると、怖いモノ見たさで読みたくなります(笑)これでは展望ではなくむしろ「絶望した!」ですよね。歴史学者にうかがってみたいものです。でもどの領域でも「回顧と展望」みたいなのは出されるでしょうから、その比較検討ってのも面白そうです。
さてほうじょうさんがこんなことを書いてますが、気がつけばこのカムパネムラはすでにいない(=見事にアガリ!)のではないか、との不安がぬぐえないジョバンニ・と”ゐでしたf(^_^;
7/13から/16にかけては「東京のお盆」だそーで、それに合わせて靖国神社では「みたままつり」が催されます。非常勤先@神保町での授業が18時半には終わるので、その後ちょっと覗く予定です。九段の辺りはこのメンバで散策しても面白いなぁと思っています。皆さんそんなお暇はないでしょうが……
さてこのブログタイトル、さすがに「ほぼ週刊」しませんか?(^^;
別にイヤミではなくて、おそらくこの七月になって、やれ前期末だなんだで皆様忙しいだろうと拝察するわけです。ちなみにと”ゐの場合、8/10までは(補講ではなく)通常の授業がしっかりと詰まっていますハイ(-"-;;
二松学舎大学の人文学会第九五回大会の記念講演で、中沢新一さんが「国文学と人類学」というお話をされました。最初の20分は聞いてませんが、旧石器と新石器の違いについて話されていたようです。
内容はだいたい以下の通りでした。
久々に夢見班のお二人と相見えることができました。お話しは、『明恵上人夢記』と『日本霊異記』の事例から考える「僧侶の夢」について、でした。拝聴しつつ、別の文脈からアプローチできないか、と考えておりました。たとえば、儀礼論あるいは身体論。関連しそうな文献については、拙ブログでリンクしております。でもこの件、講師ご当人を除いて論じるわけには、いきませんね(^^;さて直接にお逢いして判明したことがあります。まさにtribeが違うといいますか、サイバーリテラシーの問題といいますか……このブログ、そもそもあの最初の会談に集まったメンバ全員、閲覧できているのでしょうか?もちろんここで尋ねても、「休んだ人は居ませんねぇ?」と質問しているのと同じだしなぁ(苦笑)
先の投稿で盛り上がったSkype会議の実験が秒読み段階になりました。ほうじょうさんが先の投稿で「文明開化」と表現してましたけど、そのうちPodcastとかも手を出すかも?ひとまず今回は実験その1とゆーことで……
をぜひしたいものだ、と強く感じる本にめぐりあいました。末木文美士『他者/死者/私 哲学と宗教のレッスン』です。アカデミズムに足場を置きつつ、でもそのアカデミズムのお作法に満足せず、果敢に現代的問題についても発言する……そんな姿勢は、このメンバも(立場の相違はアレコレあれど)共有していると、と”ゐは感じております。なればこそこの本をネタにして読書会すると、面白いだろうなぁと夢想します。
つい数回前の投稿では、最近の本にダメ出ししておりましたがf(^^;そんな本に目を配る時間があるなら、このような本に一冊でも多く目を通したいものです。
ほぼ日刊四谷会談: 妖怪ストリートで話題になった大将軍商店街に行ってきました。「コメント欄にてご教示願います」とのことでしたが、写真を撮って来たのでエントリとして投稿します。
商店街の雰囲気はそこらにある商店街ですが、お店の軒先に手作りの妖怪がいるのが、「百鬼夜行」ってことなんでしょう。例えば、お菓子屋さんの子泣きじじい?とか、
学生服を着た一つ目小僧とか。
ちょっと面白かったのは、エコロジーと結びつけていたということ。大将軍商店街 妖怪ストリート 古道具たちの百鬼夜行にも、
大将軍商店街では、器物の妖怪である付喪神を題材にエコロジーやリサイクルの重要性を訴えながら、長きにわたり日本人に愛されてきた妖怪たちの奇奇怪怪な魅力をアピールし、より魅力的な町づくりを目指しています。と述べられていますが(強調moro)、妖怪君たちもアピールしています。
軽い日射病もどきかと思っていたら、意外や扁桃腺が腫れてどうも風邪っぽいと”ゐです。さてタイトルはそもそも昨年末の沖縄での経験がもとになっているのですが、この火曜に参加してきた金光教学研究会でもちょっと話題になったので、今回あらためて投稿してみました。もとになっている「沖縄での経験」とは、拙ブログにもエントリしております。
http://d.hatena.ne.jp/monodoi/20061223
儀礼の場での立居振舞を、あえて信仰者/研究者に分節するならば、儀礼の場に相応しい立居振舞をしようとするのが信仰者であって、そこで一歩を踏み出してシャッターを切ることができるのが研究者だ、との素朴な二分法があります。もちろんそんな単純な話ではないのですが、この二分法が選ばれている文脈を(わずかな経験ですけれども)自省しますと、信仰者/研究者が自他の区別を(お互いに)強化する際に用いられているのではないかとの懸念を持つようになりました。ついつい自嘲的に「僕は研究者として失格です。一歩が踏み出せないのです」と述べる前に、もう少し考えるべきことがあると気付いた今日この頃です。
さて、一瞥以来会合を持てないままにここまで来てしまいましたので、猪股さんには無断で!、毎年恒例「首都大学東京オープン・ユニバーシティ」の告知をしておきたいと思います。
最初の顔合わせでも触れましたが、今年のテーマは「夢見の文化誌」。講義の順序は、猪股さん 6/6・13、三品さん 6/20・27、私 7/4・11、佐藤さん 7/18・25。猪股さんに参加表明をすれば、研究者はサクラで聴けるはず?です。私も可能な限り参加しますので(残念ながら、6/6は会議が入ってしまっているのですが…)、また終了後に飲み会、いやいや反省会やりましょう。
なお、舩田君も「関東の神仏信仰」という講座を持っています。こちらは8/3・10・17・24。
「失速」なる語彙は他人事の批判ではなく、こーゆー時こそ我々が盛り立てなければならぬのに、との自省から書きましたことです。と今さら一週間前の言い訳をする金曜担当のと”ゐです。
さて「真怪」研究の件ですが、それに関連し最近はどうもまた宗教ネタが出版界に目立ちはじめ、今回も店頭で気になった2冊がありました(それぞれ出版社サイトでの紹介へリンク)。
いやほんと、「失速」の件は申し訳ない限りです。先週も何だかバタバタして、投稿できませんでした。今日はちょっと中身のあることを書いておきます。
上智と首都大の夢の講義の関係で、ここのところ『荘子』だの『列子』だのを読んでいるのですが、先日面白いことに気がつきました。
荘周自身が著したともいわれる『荘子』内篇斉物論では、かの有名な胡蝶の夢が語られています。
昔、荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみ志に適するかな。周たるを知らざるなり。俄にして覚むれば、則ち蘧蘧然として周なり。周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此を之れ物化と謂ふ。現代語訳すると、
昔、荘周は夢のなかで胡蝶となった。自由に、のびのびと舞う胡蝶で、志に叶った楽しい生き方であったが、自分では荘周であることに気づいていなかった。しかし、ふと目が覚めると、驚くべきことに自分は人間の荘周であった。周が夢のなかで胡蝶となったのか、それとも、胡蝶が夢のなかで荘周となったのか分からない。荘周と胡蝶とは必ず区別がある。これを物化という。ということになるでしょうか。無為自然・万物斉合を説く『荘子』においては、夢/現実の間にも本来的な区別はない。夢だ現実だと区別を設けるのは、人間の賢しらな知が生じる自然の惑乱にすぎない。胡蝶も荘周も斉合なるものの変移の一様相にすぎず、そうした変化を物化と呼ぶ。……この論理はどこかで聞いたことがあります。そう、狩猟採集社会の動物の主神話と同じなんですね。中沢新一が〈対称性〉を説くように、この原始神話の世界観においては、人間/動植物の間に本質的相違は設けられておらず、置換可能な存在である。動植物は人間の世界に入って生活することができるし、人間も動植物の世界で結婚し、子供を儲けることさえできる。まさに、荘周が胡蝶となり、胡蝶が荘周となるように。狩猟採集社会の神話論理が、『荘子』との類似をみせるのは大変に面白い現象と思えます。
なんだかんだで一週間空けてしまいました金曜担当のと”ゐです。このブログ含め「失速」とはまさにこのことですが、様々な事情で立ち行かないのは、いたしかたありません。もうこれは時節に任せましょう。「失速」したって「墜落」しなけりゃ何とかなる、と。「墜落」させないためにユルユルとでもこのブログは更新することにします……ホントに雑感ですねこりゃ(苦笑)
いま秋田のホテルにおります。
先日は個人的な理由で、第1回の会談を中止にしてしまい申し訳ありません(中止ですよ、ちゃんとゆきわたってますよね)。声をかけた人間がストップもかけてしまい、「ほぼ日刊」も勢いが衰えてしまったようです。お詫びのしようもありません。今日明日中に、責任をとって何かアップしておきますのでご容赦ください。今後のことも、近日中にご相談させていただきます。
ところで本日夕方、上智大学は「はしか」の流行を抑止するため、明日から1週間の全学休講措置を採ることに決定しました(創価大学に引き続き。宗教系を攻めているのか?)。課外活動も一切禁止ですので、いずれにしても日曜は皆さん構内へ入れなかったかも知れません。19日の環境文化は大丈夫なのかな?確認せねば。
GWも明けてようやく夏近くなったかと思いきや、朝夕はまた冷え込んだりしてますが、皆さま体調にはお気を付け下さい。
さてメンバの皆さまにお願いなのですが、簡単でよろしいので、プロフィール欄でどうか自己紹介をお願いします。特に未投稿のメンバの方、どうぞよろしく<(_ _)>
GWも後半となった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?金曜担当のと”ゐです。
気がつけば今日は「みどりの日」。Wikipedia経由で「みどりの日」とは「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日なんだと確認したのですが、この「したしむ」を思わず「たしなむ」と読んでしまい、それなりに納得してしまっていたと”ゐです。
それにしてもこの日は連休の狭間>国民の祝日>みどりの日、と出世魚のような変遷を辿ってますね。さすがにこれでアガリだと思いますが……
皆さんの投稿になかなかコメント付けられず、申し訳ありません。ははあ、とか、ふふん、とか唸っているばかりの今日この頃です。
しかし「妖怪ストリート」ですか…。うちの大学でやっているコミニュティ・カレッジでも、江戸怪談に関する講座を作って、四谷・番町周辺の怪異スポットを散策したいと思ってるんですけどね。「幽霊ストリート」なんて付けたら、京都とは逆に自治体から文句をいわれそうですが。とりあえず、今度の会談の午前中にお岩稲荷へゆきましょう。
ところで夢。あまり進展ないですが、次回はとりあえず殷周の情況を整理し、皆さんにご意見を伺いたいと思います。もう少しデータを集積できるかと思いましたが、統計処理するような形は難しいかも知れません。甲骨における「夢」字の現れ方、意味などを質的に検討し、周王朝〜春秋戦国期の夢観にぼちぼち及ぶ方向です。主軸は貞人・占夢官の知識・技術と、その〈賢人〉への移行、底流として存在する史官の実践ですね。しかし、昨年首都大OUで講義したときにはかなり端折っていたので、あらためて調べてみると幾つも新しい発見があります。『詩経』なんて、あれほど具体的に夢占の「主観」が語られているとは思いませんでした。
そうそう、会場・時間は前回と同じです。またメールは送信しますが。
大将軍商店街 妖怪ストリートについて、耳にしたことがある、実際に寄ってみた、などの経験をお持ちのメンバおられます?素朴に興味関心がありますので、コメント欄にてご教示願います<(_ _)>
ほぼ日刊四谷会談: 観仏信仰と夢 (2)で書いた、
西洋近代の波に晒され始めた近代の中国の学界・宗教界において、唯識が西洋の科学に対抗しうる自国(元はインドなんですけど)の“科学”として“発見”されていたという部分に、コメントでイノさんが反応して下さったので、若干補足を。これの元ネタはいくつかあるのですが、まとまっているのは次の論文だと思います。
一九二〇年前後、中国思想会の大問題はなんといっても「信仰の危機」であった。思想らしきものを持つ者であればだれでも必ずこの問題を感じ、変化混乱の世界を前にして手足の置場にも困りはてていたのである。(略)あらためてこれを読むと、「自国の“科学”として“発見”されていた」という書き方はちょっと不適切でしたね。科学を包摂する体系としての唯識が再“発見”されたというべきでしたね。
この時代の迷妄と危機をウェスタン・インパクトに帰す意見が多い。それは確かにそうであろう。ただ、この時代状況そのものは東洋文明の脆弱さが自己瓦解したとも見るべきである。(略)こうした状況で、「伝統」と「現代」、「東洋」と「西洋」の諸経験を一つに融合させ、現象・論理・意識・価値などを位置づけた、組織的な思想学説を再建することこそ、当時の思想家の目標であった。(略)
仏教新運動はあきらかに「仏法」本位ですべてを包摂している。その内的論理はこうだ。「唯識」の分析方法によって科学的論理体系を包摂して人の経験的な足場を再建すること。その一方で「心真如を本とする」ことによって物質主義・道徳主義を超越する終極的価値体系を設けて、人の精神的安息地を再建すること。
(略)唯識の複雑さ厳密さが西洋科学にレスポンスを迫られた仏教の唯一の有効な道具だったからである。
当時、かなり多数の人々が、唯識学の復興が西洋科学主義の行き詰まりを解決する、と喜びもあらわに祝ったものだ。章太炎はこう言っている。科学は法相学の露払いにすぎなかった。換言すれば、科学時代は唯識法相学の時代に譲位するだろう、と。(略)
(略)仏教は「万法唯識」を打ち立て、物と我とを超越した本源によってすべてを観照する。常識を超越して智慧となし、ユークリッド的な科学を非ユークリッド的な科学にすることができる。(略)
(略)まさにアインシュタインが相対性原理を打ち立ててニュートンの旧説を打倒し、キュリー夫妻がラジウムを発見してドルトンの原子論を打倒したようなもの」であり、かく科学に代換し科学を包摂できる仏教唯識学は、彼らにあっては「真の思想革命」でもあったのだ。
さすがに三回続けるとホントにそれらしくなったかな、と思っている金曜担当(自己申告)のと”ゐです。
さて画像は、東北線と上越線との分岐点・大宮駅の構内で、書店など店舗を案内する掲示板に登場した「スピリチュアル」です。このネタを「真怪」とすべきかそれこそ怪しむべきところですが、まぁ昨年末からマスメディアに頻出する「スピリチュアル」ブーム、たとえばロハス野村さんが自身のブログで取り上げた雑誌の特集なんてのも、緩やかに連なる問題系として捕捉したいところ。
民俗学では、「フェイクロア」や「フォークロリズム」なる用語でもって、従来のフォークロアとは違う位相の何かを析出しようと藻搔いておりますが、このマスメディアに頻出するようになった「スピリチュアル」に対し、スピリチュアルな動向を検討してきた宗教学が、はたしてどんな動きを見せるのか、たいへん気になるところです。
ほぼ日刊四谷会談: 観仏信仰と夢 (1)の続き。
(1)に書いたような漠然とした問題意識を持っていたのですが、唯識学派・法相宗の研究史を見てみると、ほとんどが教理中心の哲学的、思想的な面に対するアプローチばかりでした。そういうアプローチ自体は嫌いじゃない(むしろ好き)わけですが、思想を勉強するのに歴史的な状況を知らないでやるのは変だよなと思って伝記とか宗教活動とかの論文を書くと「もろ君、歴史はそろそろやめて思想をしなさい」みたいなことを言わたりもすることに不満を持っていました。
ちょっと脱線になりますが、なぜこれほどまで哲学的、理論的なアプローチなんだろう?と考えている中で、西洋近代の波に晒され始めた近代の中国の学界・宗教界において、唯識が西洋の科学に対抗しうる自国(元はインドなんですけど)の“科学”として“発見”されていた、ということに気づきました。存在論、論理学、心理学などを有する唯識思想は、西洋のscienceに匹敵するものと考えるグループがいたようで、後の革命につながる思想の理論的バックボーンのひとつともなっています。ほぼ日刊四谷会談: 宮澤賢治と近代オカルティズムで北條さんが書かれているオカルト的な思考も、科学の進歩がかなり楽観的に考えられていた大正時代的な時代状況があったという指摘がありますが(中沢新一『哲学の東北』など)、唯識もそのような西洋科学受容史的な流れにおける宗教みたいな位置づけができるかもしれません(関連しそうな研究として島薗進『“癒す知”の系譜』をあげておきます)。中国の革命家たちは日本留学組が多いですしね。そういう意味で、「真怪」にも興味があります。
話を元に戻すと、そんなこんなの不満の中にはあったものの、『日本霊異記』下巻第38縁にある夢解きに五姓各別説に関する言及があったのを見つけ、観仏信仰や菩薩戒を通じて(大雑把に言えば)思想と宗教とを連絡できるんじゃないだろうか、という見通しが立ったのでした。詳しい内容に関しては、このあいだ仏教史学会に投稿したところなので、その査読結果待ち (^_^;) ということなのですが、とりあえず口頭発表時のレジュメ(PDF)や北條さんによる仮定された有機交流電燈 仏教史学会1月例会にリンクを貼っておきます。
(続く…かもしれない)
一向に読み進まない『怪談前後』。その冒頭部分を眺めていて、(さほど新しい視点ではないですが)「宮澤賢治だって近代オカルティズムだよな」という印象を強く持ちました。そこで、13日に行った日本史特講「夢見と夢解きの古代文化論」の初回で『銀河鉄道の夜』をとりあげ、そこに描かれた夢の世界が、明治末年〜大正期のオカルティズムと密接に繋がっていた点を概説。以下、その要旨です。夢とも真怪とも関わる領域なので、私も「ほぼ日刊」の看板を守るべくエントリしておきます。もしかすると、『怪談前後』を読み進めてゆけば出てくる問題かも知れないのですが、もしそうであった場合はご容赦を。
(1) 宮澤賢治『銀河鉄道の夜』の世界
宮澤賢治(1896-1933)は、近代東北で活躍した詩人・童話作家・教育者・農業指導者である。自己の思想を表現するものとして文学を描き、貧窮する東北農民の生活・文化を向上させるための諸活動を展開した。彼の文学の特徴として第一に挙げられるのは、宗教的色彩の強さ、多様さである。生家の宗教としての浄土真宗、自己の選択した法華経信仰、そして青少年期の憧憬としてのキリスト教......。それらが葛藤しつつ併存しているところに独特の世界観を解く鍵がある。また、イーハートヴという幻想世界によって達成された、地域性/普遍性の止揚も重要だろう。故郷岩手の自然・習俗を濃厚に反映しつつ、ヨーロッパともアメリカとも、西域ともつかない空間が展開されている。岩手の方言とエスペラント語が併用されているのも興味深い点である。
〈夢〉という観点から彼の代表作をひとつ挙げるとすると、やはり「銀河鉄道の夜」が想起されよう。漱石の「夢十夜」、朔太郎の「猫町」、百閒の「冥途」、龍之介の「歯車」も捨てがたいが、(サブ・カルチャーも含めた)後世における影響力、認知度からすれば圧倒的との印象がある。近現代の物語世界における、〈夢〉の枠組みを決定づけたといってもいいかも知れない。簡単にあらすじを述べておこう。......不幸な環境にある少年ジョバンニは、夏のケンタウル祭(星祭り)の夜、突如訪れた銀河鉄道に乗って天界をめぐる旅に出る。車両には幼なじみのカムパネルラも乗っており、二人は「どこまでも一緒にゆくこと」を誓い合い、ゆきずりの人々との対話のなかで、「ほんとうの幸い」を模索する。北十字、プリオシン海岸、アルビレオの観測所、さそり座、南十字とめぐり、しかし空の穴=石炭袋でカムパネルラは消えてしまう。泣き叫ぶジョバンニは眠りから覚め、カムパネルラの死を知る......。今でいう〈夢落ち〉だが、問題はこのラストに異なるバージョンが存在することである。
「銀河鉄道の夜」は、大正13年〜昭和8年(1924-1933)の9年間にわたり、まさに賢治の亡くなる直前まで、推敲に推敲が重ねられた作品である。その原稿は彼の死後、他の厖大な作品とともにトランクから発見されたが、1970年代の『校本全集』編纂に伴う綿密な調査によって、初期形1〜3、最終形の4パターンの存在することが確認されるに至った。初期形と最終形の間には幾つかの相違があるが、最も大きいのはラストの描かれ方である。最終形は先にあらすじを述べたとおり、銀河の旅は夢として閉じられ、友人を救うべく川に入ったカンパネルラの死が語られる。それに対して初期形3では、カムパネルラの死の具体相は語られず、銀河の旅が、ブルカニロ博士なる科学者による遠隔思考伝達実験であったと明かされるのである。博士は「ほんたうの幸福」を追求しようと誓うジョバンニに対し、宗教や信仰の領域に科学の実験を用い、唯一絶対の真理を確定してゆく企図を述べる。本当の考えと嘘の考えを実験によって区別すれば、信仰も科学と同じようになるというのだ。ここには、宗教をめぐる賢治の懊悩とともに、地質学者でもある彼の自然科学崇拝がうかがえる。しかし、それを賢治ひとりの特性に閉じこめてしまうのではなく、科学の宗教心理への適用、テレパシー実験としての側面に、近代オカルティズムとの繋がりをこそ読み取るべきではないか。
(2) 賢治の方法と近代オカルティズム
そもそも「銀河鉄道の夜」の成立自体、オカルティックな様相に覆われていた。執筆の直接的契機となったのは、賢治最愛の人にして最大の理解者でもあった、妹トシ子の死(大正11年)であったと考えられている。「永訣の朝」や「無声慟哭」には、どこまでも一緒にゆこうと誓った妹の死に対する絶望、孤独感とともに、トシ子の向かった世界とは何なのか、天国とは本当に存在するのかといった問いが強烈に投げかけられている。また、同時期に作られた「風林」や、トシ子との接触を真の目的とした北方旅行を綴る「青森挽歌」では、冥界からの通信が確かに届いたと語られているのである。
◎「風林」(『春と修羅』所収、抜粋)〔『校本全集』2、p.148〕
とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きつとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
(ああけれどもそのどこかも知れない空間で
光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
…………此処ぁ日あ永あがくて
一日のうちの何時だがもわがらないで…………
ただひときれのおまへからの通信が
いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ
◎「青森挽歌」(『春と修羅』所収、抜粋)〔『校本全集』2、p.163-164〕
なぜ通信が許されないのか
許されてゐる、そして私のうけとった通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それが〔〕そのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる
下線部に示したように、ここでは〈夢〉は、此界/他界の境界にあるもの、あるいは他界よりの交信の手段として語られている。天上への意識といい、汽車や旅行のイメージといい、「銀河鉄道」と共通のモチーフに溢れていることが分かる。
ところで、この死者との交信の前提的思想として指摘されているのが、やはり賢治も諸書に引用するウィリアム・ジェイムズ(1842-1901)である。彼が異常心理研究、心霊研究(テレパシー実験も含む)の果てにたどりついたサブリミナル学説は、個人意識と宇宙意識の連続を説くものであった。そこでは、死者の意識も宇宙に還元されるだけで喪失するわけではないとされ、交信も可能なものと考えられているのである。大塚常樹は、賢治のユナニミスムを、サブリミナル学説が梵我一如などの仏教的フィルターを通して受容されたものだろうと指摘している〔大塚93, 香取90, 吉永01〕。興味深いのは、〈千里眼事件(明治44年〈1911〉)〉の福来友吉が、ジェイムズの熱心な紹介者であったことだろう。賢治と近代オカルティズムの繋がりがみえてくるが、さらに重要なのは彼の創作法=心象スケッチ(mental sketch modified ; mental sketch revived)である。いうまでもなく、世界と感応し刻々と変化する〈意識の流れ〉を記録する方法であるが、サブリミナル学説を前提に考えると深みが増す。賢治がどこへゆくにも首から筆記用具を提げ、何かに気づくと猛烈なスピードで手帳に書き込んでいたという村人、教え子らの証言によれば、降霊実験の方法である自動筆記との関わりもみえてくる。折しも明治25〜31年には、出口なおの自動筆記=〈お筆先〉を根幹に大本教が成立し、コスモポリタニズムの一翼を担いエスペラントの普及運動も行っていた(教団の出版にエスペラントを用いたのがちょうど大正13年、「銀河鉄道」執筆開始の年である)。
◎「序」(『春と修羅』所収、抜粋)〔『校本全集』2、p.7-8〕
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です(中略)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
◎「序」(『注文の多い料理店』所収、抜粋)〔『校本全集』12、p.7-8〕
……これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてき
たのです。ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、
ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、ど
うしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
『春と修羅』序は難解だが、サブリミナル学説を前提に据えると分かりやすい。宇宙意識と連続して明滅変化する個人意識を記録する、そして記録することで宇宙意識に接近しようとするのが心象スケッチなのだろう。『料理店』序は牧歌的だが、やはりサブリミナル学説を通して考えると面白い。賢治の目に映る自然は、単にファンタジックに擬人化されたものではなく、宇宙意識を通じて繋がっている存在である。だからこそ賢治は、彼らの物語りを感受することができる。「どうしてもこんなことがあるやうでしかたない」とは、その繋がりを表現した文章だろう。それは一種のテレパシーであるから、心象スケッチこそが、ブルカニロ博士の実験の実践であるともいえるかも知れない。また、これらの文章に「そのとほり」との字句があるのは、最近の大塚英志の指摘との関連で注意をひく。大塚は、柳田国男の『遠野物語』(明治45年)にある「自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまゝを書きたり」という表現が、グリム童話、小泉八雲『怪談』の序にも載せられていることから、『遠野』の自然主義文学としての方法に着目しているのだ〔大塚07〕。賢治の「そのとほり」も、これら「そのまま」に通底する言説ではないのだろうか。実は、柳田に遠野の民話を語った佐々木喜善は、賢治と交流のあった人物である。二人が詩作や心霊、エスペラントの問題で議論し、意気投合する間柄にあったことは、佐々木の弟が証言しているという〔原92〕。賢治の詩のなかにも遠野は何度か登場するし、「座敷ぼっこのはなし」は『遠野物語』の影響だろう。さらに、佐々木を柳田に紹介した水野葉舟の親友は高村光太郎であり、高村こそはいうまでもなく、中央文壇における賢治の理解者・紹介者であったのだ。
大塚のいうように、民俗学の成立に近代オカルティズムが密接に関わっていたとすれば、その輪のなかには賢治も含まれていた可能性が高い。少なくとも、「銀河鉄道の夜」にみられる〈夢〉の特性が、オカルティズムと密接に結びついていたことは間違いないだろう。しかし、このような〈夢〉のあり方は、近代に特徴的なものとして現れたわけではなく、むしろ古代〜中世の情況が再発見、再解釈された結果とも思える。今後も、歴史における〈夢〉の探究を続けたい。
参考文献
大沢正善 1994 「「心象スケッチ」の展開と同時代」『国文学 解釈と教材の研究』39-5
大塚常樹 1993 『宮沢賢治 心象の宇宙論』朝文社
大塚英志 2007 『怪談前後—柳田民俗学と自然主義—』角川選書
香取直一 1990a「「銀河鉄道の夜」の七つの問題—表現と研究法—」『宮沢賢治』10
1990b「「心象スケッチ」の発展的諸相—「意識の流れ」の記述と文学化—」『国文学 解釈と鑑賞』55-6
田辺繁治 2004 「夢と憑依—宗教的体験から日常世界へ—」『岩波講座宗教』5/言語と身体、岩波書店
中野新治 1994 「夢・覚醒・再生—『銀河鉄道の夜』ノート—」『国文学 解釈と教材の研究』39-5
原子朗 1992 「宮沢賢治のいる見取図—文学史の組み換えのために—」『国文学 解釈と教材の研究』37-10
吉永進一 2001 「ウィリアム・ジェイムズと宗教心理学」島薗進・西平直編『宗教心理の探究』東京大学出版会
一週間のご無沙汰でした。金曜担当(のひとり)と”ゐでございます。
卒論生のひとりが、天理の都市計画やら建築やらについて扱うので、ゼミ室兼用である研究室に関連図書を揃えて、読み始めました。天理との比較のため、『霊界物語』など大本(教)関連図書も揃えたので、なかなか圧巻な本棚になってます。と”ゐ自身は、天理教や大本に加え、金光教における空間認識の問題を比較検討することで、前回の会談中に「顔を上げられない」状態だった原因にケリをつける契機となるように願っております(^^;
書き込まなくては間が空いてしまう・・・と思っていたら、師さんが投稿して下さいました。私も続きます。
米谷匡史氏は論文「和辻哲郎と王権神話の再解釈-『尊王思想とその伝統』をめぐって-」(『国語と国文学』1994年11月)において、天皇権威を神聖化したとされる和辻について「このように和辻は、神の神たるゆえん、神聖性をめぐって、超越的な宗教性、神的次元を解消し、神聖性を此岸の人倫的秩序から表出されるものとして意味転換することに成功した・・・神話テキストに表示される神聖性は、人倫的秩序のうちへと回収され、「倫理思想」として読みかえられている」と、和辻の真に意図するところを分析し「和辻が主要な批判対象として念頭においていたのは、平田国学系の神道家がとなえる、天御中主神を究極の絶対神とし、そこからの神聖性の流出が世界をおおうとする国体神学の信仰体系であった」と結論し、そこに和辻の「思想闘争」を見ています。そう上手く行くだろうかという若干の疑問はありますが、興味深い見解だと感じます。
さて、仏教学者の林屋友次郎は「日本国体と仏教」(『国家と仏教』昭和17年)で、近年注目を集めている、中世に成立した仏教的天皇即位儀礼である「即位灌頂」を持ち出して詳細に解説を施し(辻善之助は大著『日本仏教史』で即位灌頂に言及するも、深く論ずることを回避しています)、国体を体現する天照大神(大日如来)と天皇が神秘的に合一することを強調し、「天皇が単に歴史的人格としての天照大神の血統上の御子孫というだけであるとすると、天皇は要するに世間的の崇敬の対象たるに止まって、学問・宗教の淵源となることが出来なくなる・・・而して、仏教哲理に依って何が故に然るかの所以を明らめるらるることに依って、天皇は正法の権化となられるのである・・・斯く正法に依って国家を治めらるる御意志が闡明され、爰に始めて、名実ともに天皇の御資格が完成したことになるのである」と声高に主張します。
これは一見、歴史的人格・世間的崇拝対象を超えた宗教の淵源として天皇を神聖化しようと企てており、和辻の「逆」を志向しているように思えます。しかし林屋の議論は「現在の国体論者が今猶仏教が嫌いである」(平田国学系神道家のことでしょう)という状況のもと、いわば素朴な国体論であり、暗に『国体の本義』を指していると思われる「信念的国体論」に対し、仏教教義に基づく国家哲学としての「理論的国体論」なるものを立てることで批判を展開してゆく性質を有することを考慮すると、「而して・・・」以降の文章は和辻と方法は異なるものの、「天皇権威の相対化」(安易な表現ですが)という方向性において一致するものがあるように見えてきます。或いは福島栄寿さんが「国民「宗教」の創出-暁烏敏 天皇「生仏」論をめぐって-」(『仏教土着』)で、「敏の神仏一致的仏教論の展開は、仏教者が、「神々の世界」を、神道の側から奪取せんとする闘争、という意味をもっていたように思える」とされることにも、〈仏教者が天皇を正法の権化として神道の側から奪取せん〉としている点において繋がるようです。
「ほぼ日刊」のはずなのに、早くも間があいてしまいました (^_^;; 埋め草に私(師)が関心を持っている夢見関連の領域である、観仏信仰についてちょっとだけ。
私は元々夢に関心があったわけではなく、仏教、特に唯識思想な人たちの神秘体験を探しているうちに、観仏信仰にたどり着き、そこで夢見に出会ったのでした。観仏信仰とは、その名の通り、仏や菩薩の姿を目覚めているときであれ寝ているときであれ見る、会うということを積極的に求め、実現にむけて何らかの実践をする信仰のことです。直接見たりしなくても、仏像とか絵画とかで仏・菩薩の姿を表現したり、その前で何らかの儀礼を行ったりするというのも、広い意味での観仏信仰に入ります。
そもそもなぜ唯識な人たちの神秘体験に興味を持ったかというと、大きく分けて二つあります。
まるで造化三神のようですが、四谷会談運営の基本となる3つの柱について、当日の議論に基づいて記録しておきます。
1)「夢見の古代誌」
【経緯】契機となったのは、2006年度首都大学東京OU講座「夢見の古代誌—東アジアと日本—」。講師は猪股ときわ氏(ホスト)、三品泰子氏、北條の3人で、それぞれが神話・和歌、『日本霊異記』、古代中国を担当。夢見・占夢・解夢の知・技術が、東アジアと日本の関係においてどのように育まれ、現代に至るかを論じた。前年のOU講座「交渉する神と仏」(猪股、北條、舩田淳一)の「内的盛り上がり」を受けて発案され、今回も聴講批判者として武田比呂男氏が参加、毎回終了後の飲み会では議論が百出し、研究会の発足、書物の刊行へと「夢」は膨らんだ。この過程をブログで発表したところ、師茂樹氏が興味を示し、また佐藤壮広氏、黒田智氏も発足への期待を吐露した。なお、OU講座は今年度も継続、佐藤氏を加え「夢見の文化誌—東アジアの中の日本文化—」として開かれる。
【問題関心】個人的経験である夢見が人と人との繋がりを創り出すこと、逆に、夢語りの拒否により夢の宗教的深化が進むことなどの問題が先鋭化された。北條個人としては、夢に関わる日本、東アジア、そしてヨーロッパ地域の類例なども検討しながら、単なる比較研究や多様性論を克服する視点を見出したいと考えている。また、〈夢〉を表現するためのメディアも話題となった。単なる論文集ではなく、それぞれの研究がお互いをインスパイアしてゆくセッションのような、〈新しいカタチ〉を目指したいとの意見があった。
【運営の方法】講義を前提に構築された視角・内容であるため、まずは猪股・三品・北條の3人で報告内容を再検討してゆく。武田氏には、独自のアプローチで夢について接近してもらう。師茂樹氏、佐藤壮広氏、黒田智氏も参加予定。
2)「真怪」研究会
【契機と問題関心】野村英登氏、土居浩氏、北條が、お互いのブログで共通の関心を確認したことから発案された〈未然〉の会である。さらに遡ると、2005年11月末〜12月初の方法論懇話会のML上で、輪読会の必要について3人の意見交換がある。土居氏は近代仏教研究や自らの属する金光教のオリジンへ向けて、野村氏は近代中国スピリチュアリズムと共生学、そして学祖の探究へ向けて、円了へのアプローチを標榜している(ちなみに野村氏の2005/11/28方法論懇話会メールでは、「スピリチュアリズムに気功と武術ネタを加えると、現代までひっぱれるオカルト身体論の日中交渉史」が構想できて面白い、と書かれている)。北條側の関心は、ケガレ研究会において武田氏や戸川点氏と夢想した江戸怪談と、近代オカルティズム、現在のスピリチュアリティ論を繋ぐことにある。円了はこれらの境界に位置する鍵であり、彼の著作や関係する知識人、平田篤胤、柳田国男、折口信夫はもちろん、新興宗教の教祖たちの言動を分析してゆくことによって、現在の人文学が喪失してしまった宗教、神霊へのアプローチの仕方が見つけ出せるのではないかと感じている。
【運営の方法】まずは円了の著作を任意に輪読してゆく。また、関連する他の思想家、宗教家、研究者の著作や、近代のオカルティックな事件(千里眼など)についても検証したい。舩田淳一氏も、近代の宗教学的認識を相対化する独自の視点で参加。
3)「『冥報記』輪読+仏教文化史研究会
【概要】3本柱のうち、唯一実際に運営されてきた、考古学者/歴史学者による古代仏教の研究会。2000年頃に池田敏宏氏が開始した、関東の仏教関係考古遺物をどのように扱うかを模索する研究会が母胎。その後、モノをめぐる考古/文献の認識のズレから衰退し(内藤亮氏の談)、『霊異記』研究を前提とする『冥報記』の輪読の場へシフトした。成果は参加者それぞれの研究に活かされ、歴史雑誌として初めて『霊異記』を特集した『歴史評論』668(2005-12)の発刊へと繋がった。しかし、当会の基本的認識である、「漢籍・仏典の言説に基づき古代社会を表現した『霊異記』は社会の実像に直結しない」という態度は、歴史学界では支持を得られていない。
【運営の方法】『冥報記』を含む、仏教説話集や中国古小説について輪読してゆく。元来のメンバーであった内藤亮氏、石津輝真氏、北條が担当。池田敏宏氏、藤本誠氏も参加予定。
以上の3本柱は相互に密接に関係し、「向こう側をどう捉えるか」という大きな問いも共有しています。隔月でこの三部会を回転させつつ、各自の研究関心に反映させてゆくこととしました。まずは5/13(日)、夢の部会で北條が報告します。
※ 上記2)について、意見交換によって訂正した箇所があります(コメント参照)。
金曜担当の「と”ゐ」でございます(と、勝手に宣言してみました^^;)。このブログ「ほぼ日刊」の看板を支えるべく、エントリいたしますです。
さて。
ほうじょうさんより出されたお題「『怪談前後』を批判的に読み込む」ですが、これはなかなか難しいのでございます。というのも、私なぞは初期設定として大塚本を批判的に読むよう訓練されてしまっているので、たとえば水野葉舟についての言及、「葉舟は柳田に新聞社に自身の仲介を希望する内容を含む柳田宛の書簡をしたためてはいるが、投函されずに残されている……そういった含蓄が葉舟にはある」<同書348頁>の「含蓄」は、そりゃさすがに「含羞」でしょう的レベルで躓いており、とはいえ同時期に刊行された『公民の民俗学』「あとがき」を読めば、これは「手書き文字」を原因とする「誤植」かとも思われ、瑣末な部分に拘泥することなどないと自分に言い聞かせたりもするのですが、アレアレ「公民」とか「公共的なことば」云々は、大月隆寛や佐藤健二がそれこそ柳田民俗学を論じた際に述べてきたことではなかったか?それにしては『怪談前後』のあちこちでいわゆる民俗学あるいは柳田研究者たちの言質を揶揄的に挙げているけれども、大月・佐藤についてはどこで言及していたっけ?でもそもそも大塚本は「批評」であって、「研究」ではないと当人が断わり書きしているようにも読めるから、そこへツッコミ入れるのは野暮の極みというものだし、ネット上で真面目に批判したところでマトモに反応されることは(少なくとも私の経験では)絶無だと判断するところでございます。ついでに、以前とある「会」の論集について活字の書評として応対した際、こんなところで反応されただけで後は放置、てな経験もまた自省的に再考させて頂く契機となりました。
個人的には、本書冒頭の「日ユ同祖論」は大塚の近刊『疑史としての民俗学』を待つとして、本書の主題である自然主義との関係、つまり田山花袋・佐々木喜善・水野葉舟を柳田と並べ、「ことばの更新」としてみせたところは、むしろこの四谷会談がその表現手段も含め模索している現在と重ねて眺めているところです。
もろです。書き込み練習も兼ねて。
『冥報記』というと、皆さんどのバージョンを使うんでしょうか。とりあえずのメモとしてリストアップしてみます。遺漏その他があればご指摘ください。
さっそく、ロハスさんからデータを提供していただいているようですね。ありがとうございます。昨日のまとめは自分のブログに書くつもりでいますし、こちらにも当然載せておきますが、今日は試しに雑感を。
写真は日曜に撮った、上智横真田堀の桜です。打ち合わせが終わっての帰り際、ロハスさんと、「やっぱり桜って気持ち悪いですよね。枝振りとのコントラストが」「死体が埋まってるからね。花が咲いていないとそうでもないけど、咲くと一気に異様になるね」などと話をしていたのでした。実は真田堀には、空襲で亡くなった身元不明の人たちが、そのまま埋め立てられているとの噂があります。学部1年のとき体育の先生に、「だから真田堀グラウンドの水道は飲んじゃいけない」と、いま考えるとよく分からない〈学校の怪談?〉を聞かされました。飲み会でちょっとお話しした、「どうして人間は、破滅的環境にも美を見いだせるのか?」という問題とも通じてくるかもしれません(こないか)。
今日も夜桜を眺めながら帰ってきましたが、…やっぱりなんとなく不気味でしたね。次回はお岩稲荷にお詣りにゆきましょう。
ところで、昨日打ち合わせにも持ってきていましたが、電車のなかで眠い目を擦り、大塚英志『怪談前後—柳田民俗学と自然主義—』を読んでいます(と”ゐさんはちゃんと批判的に読み込んでるんでしょう?)。冒頭、ナチス・ドイツがアーリア民族の起源をアトランティスに置いていたという例の話が紹介されているのですが、「古代の秦氏が始皇帝に起源を求めたり、漢氏が漢の高祖を始祖に据えたりするのも同じだよなあ」とつくづく思ってしまうのでした。始皇帝なんて、平安貴族の実感としては、ムー大陸みたいなものだったんじゃないでしょうかね。
『井上円了選集』第16巻から21巻は妖怪学関連の著作。柏書房の『妖怪学全集』は該当巻の市販版。
第16巻
妖怪学講義(第1・2分冊)
第17巻
妖怪学講義(第3・4分冊)
第18巻
妖怪学講義(第5・6分冊)
第19巻
妖怪玄談
妖怪百談
続妖怪百談
霊魂不滅論
哲学うらない
改良新案の夢
天狗論
迷信解
第20巻
おばけの正体
迷信と宗教
真怪
第21巻
妖怪学
妖怪学講義録
妖怪学雑誌
妖怪学関係論文等
(解説)井上円了の妖怪学の歴史的意義 板倉聖宣
(解説)井上円了の妖怪学とそれ以後 小松和彦
(解説)井上円了と妖怪学の誕生 三浦節夫
妖怪学参考図書解題 山内瑛一
妖怪学著書論文目録
妖怪学総索