何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2007年4月6日金曜日

第1回会談:三本柱の経緯と展開(増補版)

まるで造化三神のようですが、四谷会談運営の基本となる3つの柱について、当日の議論に基づいて記録しておきます。

1)「夢見の古代誌」
【経緯】契機となったのは、2006年度首都大学東京OU講座「夢見の古代誌—東アジアと日本—」。講師は猪股ときわ氏(ホスト)、三品泰子氏、北條の3人で、それぞれが神話・和歌、『日本霊異記』、古代中国を担当。夢見・占夢・解夢の知・技術が、東アジアと日本の関係においてどのように育まれ、現代に至るかを論じた。前年のOU講座「交渉する神と仏」(猪股、北條、舩田淳一)の「内的盛り上がり」を受けて発案され、今回も聴講批判者として武田比呂男氏が参加、毎回終了後の飲み会では議論が百出し、研究会の発足、書物の刊行へと「夢」は膨らんだ。この過程をブログで発表したところ、師茂樹氏が興味を示し、また佐藤壮広氏、黒田智氏も発足への期待を吐露した。なお、OU講座は今年度も継続、佐藤氏を加え「夢見の文化誌—東アジアの中の日本文化—」として開かれる。
【問題関心】個人的経験である夢見が人と人との繋がりを創り出すこと、逆に、夢語りの拒否により夢の宗教的深化が進むことなどの問題が先鋭化された。北條個人としては、夢に関わる日本、東アジア、そしてヨーロッパ地域の類例なども検討しながら、単なる比較研究や多様性論を克服する視点を見出したいと考えている。また、〈夢〉を表現するためのメディアも話題となった。単なる論文集ではなく、それぞれの研究がお互いをインスパイアしてゆくセッションのような、〈新しいカタチ〉を目指したいとの意見があった。
【運営の方法】講義を前提に構築された視角・内容であるため、まずは猪股・三品・北條の3人で報告内容を再検討してゆく。武田氏には、独自のアプローチで夢について接近してもらう。師茂樹氏、佐藤壮広氏、黒田智氏も参加予定。
2)「真怪」研究会
【契機と問題関心】野村英登氏、土居浩氏、北條が、お互いのブログで共通の関心を確認したことから発案された〈未然〉の会である。さらに遡ると、2005年11月末〜12月初の方法論懇話会のML上で、輪読会の必要について3人の意見交換がある。土居氏は近代仏教研究や自らの属する金光教のオリジンへ向けて、野村氏は近代中国スピリチュアリズムと共生学、そして学祖の探究へ向けて、円了へのアプローチを標榜している(ちなみに野村氏の2005/11/28方法論懇話会メールでは、「スピリチュアリズムに気功と武術ネタを加えると、現代までひっぱれるオカルト身体論の日中交渉史」が構想できて面白い、と書かれている)。北條側の関心は、ケガレ研究会において武田氏や戸川点氏と夢想した江戸怪談と、近代オカルティズム、現在のスピリチュアリティ論を繋ぐことにある。円了はこれらの境界に位置する鍵であり、彼の著作や関係する知識人、平田篤胤、柳田国男、折口信夫はもちろん、新興宗教の教祖たちの言動を分析してゆくことによって、現在の人文学が喪失してしまった宗教、神霊へのアプローチの仕方が見つけ出せるのではないかと感じている。
【運営の方法】まずは円了の著作を任意に輪読してゆく。また、関連する他の思想家、宗教家、研究者の著作や、近代のオカルティックな事件(千里眼など)についても検証したい。舩田淳一氏も、近代の宗教学的認識を相対化する独自の視点で参加。
3)「『冥報記』輪読+仏教文化史研究会
【概要】3本柱のうち、唯一実際に運営されてきた、考古学者/歴史学者による古代仏教の研究会。2000年頃に池田敏宏氏が開始した、関東の仏教関係考古遺物をどのように扱うかを模索する研究会が母胎。その後、モノをめぐる考古/文献の認識のズレから衰退し(内藤亮氏の談)、『霊異記』研究を前提とする『冥報記』の輪読の場へシフトした。成果は参加者それぞれの研究に活かされ、歴史雑誌として初めて『霊異記』を特集した『歴史評論』668(2005-12)の発刊へと繋がった。しかし、当会の基本的認識である、「漢籍・仏典の言説に基づき古代社会を表現した『霊異記』は社会の実像に直結しない」という態度は、歴史学界では支持を得られていない。
【運営の方法】『冥報記』を含む、仏教説話集や中国古小説について輪読してゆく。元来のメンバーであった内藤亮氏、石津輝真氏、北條が担当。池田敏宏氏、藤本誠氏も参加予定。

以上の3本柱は相互に密接に関係し、「向こう側をどう捉えるか」という大きな問いも共有しています。隔月でこの三部会を回転させつつ、各自の研究関心に反映させてゆくこととしました。まずは5/13(日)、夢の部会で北條が報告します。
※ 上記2)について、意見交換によって訂正した箇所があります(コメント参照)。

5 件のコメント:

と”ゐ さんのコメント...

「(自らの属する)〈新興〉宗教」と表記されたことについて、強い異和感を覚えます。もちろんここでコメントすることで、むしろその断絶を強調することになりかねないことも十二分に了解した上で、それでもなお敢えて申し上げます。
私自身から「〈新興〉宗教」云々とは決して表現しません。日常会話中に他人からそのようなラベリングをされた場合においては、少なくとも言葉を濁し、あるいはイヤな顔を向けることで、「〈新興〉宗教」という〈他者からのラベリング〉を拒否する身振りを示すでしょう。次いで(可能であれば)「民衆宗教/新宗教」と換言することを(できるかぎり低姿勢で)要求します。要求しない場合があるとすれば、周囲とすでにそこまでをも織り込み済みの関係性を構築していた(と私が判断した)場合であるか、そもそもそのような対話を放棄した(と私が判断した)場合です。そして四谷会談は、前者であると私は期待をしているところですが、この「ほぼ日刊」という半公開(別にログインせずとも閲覧できる)状態において「〈新興〉宗教」という表記がそのままにあることを見過ごすことは出来ませんでした。私にとっては「新たに興る」との字面通りの意味が皆無な対象について、「〈新興〉宗教」と表記されることは異和感を覚えるものです。さらに前置して「(自らの属する)」と表記されればなおさらです。
さらにメタレベルの関心として、北條氏による「記録」として「〈新興〉宗教」の表記が選択されたことです。〈 〉を付すことで通俗語と一線を画する意か。それとも「新興仏教」(@妹尾義郎)を示唆する意か。ついつい深読みをしたくなります。ですがどのような意味を読み取るとしても、字面「新たに興る」からの離脱は困難(というか無理)です。私にとってはあくまで、すでに/ここにあるモノでありますこと、申し添えておきます。

ほうじょう さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
ほうじょう さんのコメント...

いやいや、もちろん、すでに会談の場でと"ゐさんが不快感を向けられたことを前提としての表記であり、〈〉付きです。と"ゐさんがこう語られることに不快感を持ち、葛藤を抱えていることが、宗教者としてのご自身の実存/研究者としての実存に深く関わっているだろう、と考えたうえでの書き方です。と"ゐさん自身を、新興宗教という通俗的概念で括ろうとしたわけではありません。不十分な説明のままに、あえて2度使用したことには謝罪を、しかし面倒くさがらずに、会談の折より詳しくコメントを付けてくださったことには感謝をいたします。
以前、宗教言説などの折に申し上げた気がしますが、私の方はむしろ〈民衆宗教〉や〈新宗教〉という定義に違和感を強く持っていて(「民衆」という混乱した文化=階層概念が分からないし、〈新しい〉宗教とも思えない。だいたいこの二つには、伝統性、長期構造との関連において対立する要素があり、どちらかを使うことで各宗教の内実をかなり規定してしまう)、〈新興〉宗教という呼び方のほうにこそ魅力を感じています。マスコミによって否定的な手垢が付けられてきたものの、時代や社会との繋がりにおいて、普段に生成し続ける含意を持つことで、〈新たに興る〉という表現は奥深い。ちなみに浄土真宗も〈新興〉であった時期はあり、その情況を近現代に生起してきた諸宗教と比較することで、弾圧や一向一揆、隠れ念仏の問題、夢告や『教行信証』執筆の経緯などを再検討することができます。また近代教学と中世、近世の形態とは大きく異なるので、少なくとも近代仏教、もしくは通俗的使用を逆手にとって〈新興〉仏教と位置づけ直し、伝統と歴史を強調し近代以降の諸宗教を軽視する教団内の風潮を改めたい思いもあります。私の経験を通してみた宗教は、常に「新たに興る」ものであって、「すでに/ここにあるモノ」ではありません。
しかし、と"ゐさんがこれほどに強い拒否を表明されたことは、私にとって予想外であり(もちろん、批判的反応は期待していたわけですが)、また会談の場への自身の甘えを指摘された気がします。このコメント群が活かされる形で訂正をしておきます。
※誤字脱字を発見したので、一度削除を行いました。

と”ゐ さんのコメント...

何よりもまずご丁寧な応答に感謝します。さらに興味深いのは、

> 私の経験を通してみた宗教は、常に「新たに興る」ものであって、「すでに/ここにあるモノ」ではありません。

との表明です。私に言わせるなら、(金光教からみれば)長い歴史を持ち、「すでに/ここにある」浄土真宗なればこそ〈新興〉との表現にインパクトがあるのです。
金光教(をOSとする私)があらためて「新興」なる表現に込めることのできる意味合いと、「新興」なる表現を用いることで背負わねばならぬリスクを天秤にかけて、やはり浄土真宗とは異なった選択をしたという話です。

ちなみに金光教に云う「生神」とは、いまここに神が生まれるのを生神というのであり、まさに「常に新たに興る」運動そのものです。もしもこのコメント(のやりとり)を金光教徒が読んだなら、おそらく「そう!まさに生神とは、常に〈新たに興る〉ことなんだヨ」と同意してくれることでしょう。むしろ言説編制されているとすらいえるわけで、だからこそ私の経験を通した「すでに/ここにあるモノ」との表現に賭けねばならぬ事態があるのですが、それはまさに個人的事情です(^^;

このやりとりを傍から眺めているカミさんがいう、「二人のルートは全然違うってことでしょ?でも前提とゴールは一緒じゃん」と整理しちゃうのも何ですが、ほうじょうさんとの二人だけの世界に突入するのも大問題ですので、まぁこの辺りで(苦笑)

ほうじょう さんのコメント...

ご容赦いただけたようで恐縮です。

>私に言わせるなら、(金光教からみれば)長い歴史を持ち、「すでに/ここにある」浄土真宗なればこそ〈新興〉との表現にインパクトがあるのです。

それはもちろん理解しています。
ただ、と"ゐさんが金光教に〈新興〉を冠されることに違和感があるように、私も浄土真宗に〈長い歴史〉をみられることに違和感を持つのです。第一、蓮如以降の本願寺門主が関東の初期真宗教団を籠絡し、覚如イデオロギーのもとに吸収してしまったのならば、もともと荒木門徒であったかも知れない自坊のアイデンティティとはどこにあるのか(近代教学は捏造された記憶ではないのか)。そもそも、強固に(疑似国家的に)組織化された近代真宗教団は、宗派自体を創唱しなかった親鸞との関係において、伝統性を持つものと評価されうるのか。いろいろと考えてしまうわけです。
まあもちろん、これもと"ゐさんと同じく極めて個人的な見解で、龍谷大学の真宗学を出て大谷家と共通のアイデンティティを持っている人々は、まったく正反対の意識なのでしょう。自分の軽薄さは自覚するとして、やはり実存に関わる宗教を語るのは難しいですね。