何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2007年9月7日金曜日

あるはれたひに

昨夜フルヤノモリに少々悩まされたと”ゐです。この催しにこれから参加するのですが、台風の余波で移動手段(=電車)がどうなっているのか心配です。また後ほど報告します。したが全く問題なく、無事に参加することができました。

今回、職人さんたち相手のシンポを司会する、という(このブログに集う皆さまからすれば全く無関心の領域での)お仕事を頂戴したのですけれども、そこでのキーワードのひとつが〈身体化された知識〉だったのです。もちろんこの術語が聴衆にどれだけ理解されたのかは疑問(むしろ、技を身につける、とでもすべきだったかも)ですが、調査する側/される側、評価する側/される側の双方がシンポのパネラおよび聴衆として並んだのは、ポスコロだ人類学だポジショニングだと最先端の議論を持ち出すまでもなく、きわめてスリリングな現場でした。職人さんはまさに実践者なわけで、実践や身体といった問題を考察する際のヒントを頂戴しながら、どのように〈夢〉や〈真怪〉といった文脈に乗せることができるか、今後の私自身の課題です。

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