ネッシーとつちのこ
どゐさんから教わった公開研究会「UMAのいる科学史」に参加してきました。大海蛇の話とツチノコの話でした。というと何のことやらですが、ようすれば、近代と科学の徒花としてUMAをめぐる言説を読み解く、とかそういった試みで、まさに霊学ネタと同じ問題意識で、おもしろかったです。実際、発表者のお二人の子供の頃から好きで~との由で、そうだよなと納得。参加者は好き者揃いでした。
総合討論のところでは、伝聞・引用の蒐集→報告者自身の直接観察(視覚の特権化)→訓練された専門家による観察といった科学の制度化との関連で議論がなされ、その制度化に際して専門家(科学者)から排除されていく人たちが、16世紀の伝聞史料を証言の補強とするようになって19世紀にいっぱい復刊されたとかいった話を聞くと、うーんどこかで見聞きした話だなあと。やっぱりつながっていくのね~。
ツチノコを発表されていた伊藤さんは現在台湾の大学で勤務されているそうで、このテーマで出張申請したらさすが日本と言われたそうです。彼の地こそ、霊学が現代にいきいきとしているんですけどね。しかし(いや、だからか)、同時に強烈に近代知識人(というか儒教的士大夫)意識も濃密なので、アカデミズムにそれのっけんの?というツッコミもまた自然に出てくる訳です。のっかるどころか科研費まで取ってるあたり、さすがというかうらやましい。
最後の討議で、写真の効用と妖精はUMAに入るのかという質問をさせていただきました。柳田国男が口承オンリーだったのに対し、渋沢敬三は文物メインだったとか。コロポックルの写真とか残ってないのかな。最近、仙人の写真を見たりするので気になります。日本近代だけで見ると霊の物神化(そしてそこからの商品化)になるのかもしれませんが、近代中国まで視野に入れると、気の理論が濃密にあるだけに、話はもう少し複雑になるような気がします。
3 件のコメント:
「好き者揃い」とは凄い(^^;「近代中国まで視野に入れる」とは、『比較日本研究』10号からの展開として興味深いですね。
うむむ、まだ読んでません(._.) φ メモメモ
休憩中にネス湖の写真が流れたり、台湾で出た学研のひみつシリーズのコピーが出たり、質問でG大探検部の学生さんからSETIがOKなのにUMAは何故ダメなのかという問いがあったりと、好き者でなければ何なのかと(^_^)
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