何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2007年4月2日月曜日

桜から四谷会談を

さっそく、ロハスさんからデータを提供していただいているようですね。ありがとうございます。昨日のまとめは自分のブログに書くつもりでいますし、こちらにも当然載せておきますが、今日は試しに雑感を。
 写真は日曜に撮った、上智横真田堀の桜です。打ち合わせが終わっての帰り際、ロハスさんと、「やっぱり桜って気持ち悪いですよね。枝振りとのコントラストが」「死体が埋まってるからね。花が咲いていないとそうでもないけど、咲くと一気に異様になるね」などと話をしていたのでした。実は真田堀には、空襲で亡くなった身元不明の人たちが、そのまま埋め立てられているとの噂があります。学部1年のとき体育の先生に、「だから真田堀グラウンドの水道は飲んじゃいけない」と、いま考えるとよく分からない〈学校の怪談?〉を聞かされました。飲み会でちょっとお話しした、「どうして人間は、破滅的環境にも美を見いだせるのか?」という問題とも通じてくるかもしれません(こないか)。
 今日も夜桜を眺めながら帰ってきましたが、…やっぱりなんとなく不気味でしたね。次回はお岩稲荷にお詣りにゆきましょう。

 ところで、昨日打ち合わせにも持ってきていましたが、電車のなかで眠い目を擦り、大塚英志『怪談前後—柳田民俗学と自然主義—』を読んでいます(と”ゐさんはちゃんと批判的に読み込んでるんでしょう?)。冒頭、ナチス・ドイツがアーリア民族の起源をアトランティスに置いていたという例の話が紹介されているのですが、「古代の秦氏が始皇帝に起源を求めたり、漢氏が漢の高祖を始祖に据えたりするのも同じだよなあ」とつくづく思ってしまうのでした。始皇帝なんて、平安貴族の実感としては、ムー大陸みたいなものだったんじゃないでしょうかね。

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