何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2007年6月1日金曜日

このイマサラ感

「失速」なる語彙は他人事の批判ではなく、こーゆー時こそ我々が盛り立てなければならぬのに、との自省から書きましたことです。と今さら一週間前の言い訳をする金曜担当のと”ゐです。
さて「真怪」研究の件ですが、それに関連し最近はどうもまた宗教ネタが出版界に目立ちはじめ、今回も店頭で気になった2冊がありました(それぞれ出版社サイトでの紹介へリンク)。

う〜んどう言えばいいんでしょうか、「このイマサラ感」との表現で、ニュアンスは通じますかね。。。もちろん熟読吟味していないこの段階でアレコレ言うのは何ともルール違反の気もするのですが、帯の惹句を瞥見しただけでも凹んでしまうこの気分は、いったい何なのでしょうか。。。昨年末あたりに世間でスピリチュアリティ云々と騒がれた時にも感じたんですが、下手に学会誌購読や学会大会参加していると、世間とゆーか出版業界とのズレとゆーかに、戸惑うことがしばしばです。もちろんどちらがヨイかの話ではなく、あぁ両者は残念ながらズレているなぁとの感慨です。
↑これ、下手に個人のブログに載せたら、それまでの私の言説なぞ知らない(知ろうともしない)一見さんが、オマエは何様ダっ!てな勢いでカキコミされそうなノリですねぇ(^^;

2 件のコメント:

ほうじょう さんのコメント...

あー、ぼくはもっと酷くて、手に取りさえしませんでしたね(『文藝春秋』の増刊、「日本人と宗教」は買っちゃいましたが)。土居さんはエライ。いうまでもないことですが、一神教批判の言説…というより宗教や文明を一神教/多神教に単純化し、区別すること自体に疑問を感じるので、その手の本はまったく無視状態なのですが…最近何か論理的進展はあるんでしょうかネ。

と”ゐ さんのコメント...

いや町田本はその存在を確認しただけで(w)、今回購入したのは阿満本なのですが、それも読むのはエライ(≠偉い)です。。。『文藝春秋』増刊もありましたね。
「区別すること自体に疑問を感じる」のは同感ですし、今回に限れば、タイトルの「勝てるか?」を見た段階で、勝ち負けにこだわった地点でそりゃもう〈負け〉だろう……とツッコミ入れてしまいますネ。