何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2007年4月14日土曜日

宮澤賢治と近代オカルティズム

一向に読み進まない『怪談前後』。その冒頭部分を眺めていて、(さほど新しい視点ではないですが)「宮澤賢治だって近代オカルティズムだよな」という印象を強く持ちました。そこで、13日に行った日本史特講「夢見と夢解きの古代文化論」の初回で『銀河鉄道の夜』をとりあげ、そこに描かれた夢の世界が、明治末年〜大正期のオカルティズムと密接に繋がっていた点を概説。以下、その要旨です。夢とも真怪とも関わる領域なので、私も「ほぼ日刊」の看板を守るべくエントリしておきます。もしかすると、『怪談前後』を読み進めてゆけば出てくる問題かも知れないのですが、もしそうであった場合はご容赦を。

(1) 宮澤賢治『銀河鉄道の夜』の世界
 宮澤賢治(1896-1933)は、近代東北で活躍した詩人・童話作家・教育者・農業指導者である。自己の思想を表現するものとして文学を描き、貧窮する東北農民の生活・文化を向上させるための諸活動を展開した。彼の文学の特徴として第一に挙げられるのは、宗教的色彩の強さ、多様さである。生家の宗教としての浄土真宗、自己の選択した法華経信仰、そして青少年期の憧憬としてのキリスト教......。それらが葛藤しつつ併存しているところに独特の世界観を解く鍵がある。また、イーハートヴという幻想世界によって達成された、地域性/普遍性の止揚も重要だろう。故郷岩手の自然・習俗を濃厚に反映しつつ、ヨーロッパともアメリカとも、西域ともつかない空間が展開されている。岩手の方言とエスペラント語が併用されているのも興味深い点である。
〈夢〉という観点から彼の代表作をひとつ挙げるとすると、やはり「銀河鉄道の夜」が想起されよう。漱石の「夢十夜」、朔太郎の「猫町」、百閒の「冥途」、龍之介の「歯車」も捨てがたいが、(サブ・カルチャーも含めた)後世における影響力、認知度からすれば圧倒的との印象がある。近現代の物語世界における、〈夢〉の枠組みを決定づけたといってもいいかも知れない。簡単にあらすじを述べておこう。......不幸な環境にある少年ジョバンニは、夏のケンタウル祭(星祭り)の夜、突如訪れた銀河鉄道に乗って天界をめぐる旅に出る。車両には幼なじみのカムパネルラも乗っており、二人は「どこまでも一緒にゆくこと」を誓い合い、ゆきずりの人々との対話のなかで、「ほんとうの幸い」を模索する。北十字、プリオシン海岸、アルビレオの観測所、さそり座、南十字とめぐり、しかし空の穴=石炭袋でカムパネルラは消えてしまう。泣き叫ぶジョバンニは眠りから覚め、カムパネルラの死を知る......。今でいう〈夢落ち〉だが、問題はこのラストに異なるバージョンが存在することである。
「銀河鉄道の夜」は、大正13年〜昭和8年(1924-1933)の9年間にわたり、まさに賢治の亡くなる直前まで、推敲に推敲が重ねられた作品である。その原稿は彼の死後、他の厖大な作品とともにトランクから発見されたが、1970年代の『校本全集』編纂に伴う綿密な調査によって、初期形1〜3、最終形の4パターンの存在することが確認されるに至った。初期形と最終形の間には幾つかの相違があるが、最も大きいのはラストの描かれ方である。最終形は先にあらすじを述べたとおり、銀河の旅は夢として閉じられ、友人を救うべく川に入ったカンパネルラの死が語られる。それに対して初期形3では、カムパネルラの死の具体相は語られず、銀河の旅が、ブルカニロ博士なる科学者による遠隔思考伝達実験であったと明かされるのである。博士は「ほんたうの幸福」を追求しようと誓うジョバンニに対し、宗教や信仰の領域に科学の実験を用い、唯一絶対の真理を確定してゆく企図を述べる。本当の考えと嘘の考えを実験によって区別すれば、信仰も科学と同じようになるというのだ。ここには、宗教をめぐる賢治の懊悩とともに、地質学者でもある彼の自然科学崇拝がうかがえる。しかし、それを賢治ひとりの特性に閉じこめてしまうのではなく、科学の宗教心理への適用、テレパシー実験としての側面に、近代オカルティズムとの繋がりをこそ読み取るべきではないか。
(2) 賢治の方法と近代オカルティズム
 そもそも「銀河鉄道の夜」の成立自体、オカルティックな様相に覆われていた。執筆の直接的契機となったのは、賢治最愛の人にして最大の理解者でもあった、妹トシ子の死(大正11年)であったと考えられている。「永訣の朝」や「無声慟哭」には、どこまでも一緒にゆこうと誓った妹の死に対する絶望、孤独感とともに、トシ子の向かった世界とは何なのか、天国とは本当に存在するのかといった問いが強烈に投げかけられている。また、同時期に作られた「風林」や、トシ子との接触を真の目的とした北方旅行を綴る「青森挽歌」では、冥界からの通信が確かに届いたと語られているのである。
  ◎「風林」(『春と修羅』所収、抜粋)〔『校本全集』2、p.148〕
  とし子とし子
  野原へ来れば
  また風の中に立てば
  きつとおまへをおもひだす
  おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
  鋼青壮麗のそらのむかふ
   (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
    光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
     …………此処ぁ日あ永あがくて
     一日のうちの何時だがもわがらないで…………
  ただひときれのおまへからの通信が
  いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ
  ◎「青森挽歌」(『春と修羅』所収、抜粋)〔『校本全集』2、p.163-164〕
  なぜ通信が許されないのか
  許されてゐる、そして私のうけとった通信は
  母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
  どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
  それらひとのせかいのゆめはうすれ
  あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
  あたらしくさはやかな感官をかんじ
  日光のなかのけむりのやうな羅をかんじ
  かがやいてほのかにわらひながら
  はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
  交錯するひかりの棒を過ぎり
  われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
  それが〔〕そのやうであることにおどろきながら
  大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
  わたくしはその跡をさへたづねることができる
下線部に示したように、ここでは〈夢〉は、此界/他界の境界にあるもの、あるいは他界よりの交信の手段として語られている。天上への意識といい、汽車や旅行のイメージといい、「銀河鉄道」と共通のモチーフに溢れていることが分かる。
 ところで、この死者との交信の前提的思想として指摘されているのが、やはり賢治も諸書に引用するウィリアム・ジェイムズ(1842-1901)である。彼が異常心理研究、心霊研究(テレパシー実験も含む)の果てにたどりついたサブリミナル学説は、個人意識と宇宙意識の連続を説くものであった。そこでは、死者の意識も宇宙に還元されるだけで喪失するわけではないとされ、交信も可能なものと考えられているのである。大塚常樹は、賢治のユナニミスムを、サブリミナル学説が梵我一如などの仏教的フィルターを通して受容されたものだろうと指摘している〔大塚93, 香取90, 吉永01〕。興味深いのは、〈千里眼事件(明治44年〈1911〉)〉の福来友吉が、ジェイムズの熱心な紹介者であったことだろう。賢治と近代オカルティズムの繋がりがみえてくるが、さらに重要なのは彼の創作法=心象スケッチ(mental sketch modified ; mental sketch revived)である。いうまでもなく、世界と感応し刻々と変化する〈意識の流れ〉を記録する方法であるが、サブリミナル学説を前提に考えると深みが増す。賢治がどこへゆくにも首から筆記用具を提げ、何かに気づくと猛烈なスピードで手帳に書き込んでいたという村人、教え子らの証言によれば、降霊実験の方法である自動筆記との関わりもみえてくる。折しも明治25〜31年には、出口なおの自動筆記=〈お筆先〉を根幹に大本教が成立し、コスモポリタニズムの一翼を担いエスペラントの普及運動も行っていた(教団の出版にエスペラントを用いたのがちょうど大正13年、「銀河鉄道」執筆開始の年である)。
  ◎「序」(『春と修羅』所収、抜粋)〔『校本全集』2、p.7-8〕
  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといつしよに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です(中略)
  これらは二十二箇月の
  過去とかんずる方角から
  紙と鉱質インクをつらね
  (すべてわたくしと明滅し
  みんなが同時に感ずるもの)
  ここまでたもちつゞけられた
  かげとひかりのひとくさりづつ
  そのとほりの心象スケッチです
  ◎「序」(『注文の多い料理店』所収、抜粋)〔『校本全集』12、p.7-8〕
  ……これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてき
  たのです。ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、
  ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、
  うしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
『春と修羅』序は難解だが、サブリミナル学説を前提に据えると分かりやすい。宇宙意識と連続して明滅変化する個人意識を記録する、そして記録することで宇宙意識に接近しようとするのが心象スケッチなのだろう。『料理店』序は牧歌的だが、やはりサブリミナル学説を通して考えると面白い。賢治の目に映る自然は、単にファンタジックに擬人化されたものではなく、宇宙意識を通じて繋がっている存在である。だからこそ賢治は、彼らの物語りを感受することができる。「どうしてもこんなことがあるやうでしかたない」とは、その繋がりを表現した文章だろう。それは一種のテレパシーであるから、心象スケッチこそが、ブルカニロ博士の実験の実践であるともいえるかも知れない。また、これらの文章に「そのとほり」との字句があるのは、最近の大塚英志の指摘との関連で注意をひく。大塚は、柳田国男の『遠野物語』(明治45年)にある「自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまゝを書きたり」という表現が、グリム童話、小泉八雲『怪談』の序にも載せられていることから、『遠野』の自然主義文学としての方法に着目しているのだ〔大塚07〕。賢治の「そのとほり」も、これら「そのまま」に通底する言説ではないのだろうか。実は、柳田に遠野の民話を語った佐々木喜善は、賢治と交流のあった人物である。二人が詩作や心霊、エスペラントの問題で議論し、意気投合する間柄にあったことは、佐々木の弟が証言しているという〔原92〕。賢治の詩のなかにも遠野は何度か登場するし、「座敷ぼっこのはなし」は『遠野物語』の影響だろう。さらに、佐々木を柳田に紹介した水野葉舟の親友は高村光太郎であり、高村こそはいうまでもなく、中央文壇における賢治の理解者・紹介者であったのだ。
 大塚のいうように、民俗学の成立に近代オカルティズムが密接に関わっていたとすれば、その輪のなかには賢治も含まれていた可能性が高い。少なくとも、「銀河鉄道の夜」にみられる〈夢〉の特性が、オカルティズムと密接に結びついていたことは間違いないだろう。しかし、このような〈夢〉のあり方は、近代に特徴的なものとして現れたわけではなく、むしろ古代〜中世の情況が再発見、再解釈された結果とも思える。今後も、歴史における〈夢〉の探究を続けたい。

参考文献
大沢正善 1994 「「心象スケッチ」の展開と同時代」『国文学 解釈と教材の研究』39-5
大塚常樹 1993 『宮沢賢治 心象の宇宙論』朝文社
大塚英志 2007 『怪談前後—柳田民俗学と自然主義—』角川選書
香取直一 1990a「「銀河鉄道の夜」の七つの問題—表現と研究法—」『宮沢賢治』10
     1990b「「心象スケッチ」の発展的諸相—「意識の流れ」の記述と文学化—」『国文学 解釈と鑑賞』55-6
田辺繁治 2004 「夢と憑依—宗教的体験から日常世界へ—」『岩波講座宗教』5/言語と身体、岩波書店
中野新治 1994 「夢・覚醒・再生—『銀河鉄道の夜』ノート—」『国文学 解釈と教材の研究』39-5
原子朗  1992 「宮沢賢治のいる見取図—文学史の組み換えのために—」『国文学 解釈と教材の研究』37-10
吉永進一 2001 「ウィリアム・ジェイムズと宗教心理学」島薗進・西平直編『宗教心理の探究』東京大学出版会

2 件のコメント:

と”ゐ さんのコメント...

むぅぅぅ……これが「要旨」なのですから、はたして本編はどうなるのか(^^;冗談ではなく新書一冊分にはなりますよね。

HOJO さんのコメント...

おお、と"ゐさんから肯定的な感想をもらえてよかった。この視点はイケる、ってことですかね。でも、さっき書いてて思い出したんですけど、大塚原作のマンガ『北神伝奇』に、オカルティストとしての賢治が出て来ていたなあ。やっぱり新しい視点ではないんですよね。今回は思いつきでおおざっぱに繋げてしまって、研究史もすっとばしているんですが、全集ひっくり返してもっと真面目に検討すれば、さらに面白い問題が出てくるかも。5/13はこのネタをやりましょうか...。