何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2008年4月3日木曜日

「縁起の東西」について

前略 しばらく「ほぼ週刊四谷会談」に目を通せなかったため、書き込みが大変遅れました。と”ゐさん、すみません。と言うか、昨年の春に一回、夏頃に一回書き込んだのみのような気がします。これでは四谷会談のメンバーとして失格かも・・・。
 さて、早稲田のシンポ「縁起の東西」についてですが、確かに縁起をめぐる日・印・欧の比較は興味深いものでしたね。「縁起」という語を仏教に由来するものとして、アジア以外の西欧文化圏のキリスト教聖人伝や教会創建譚にも、それを応用・普遍化させたことに対して(かなり厳しい口調)の疑義が呈されていましたが、重要な試みであったことは十分に評価されると思います。そして領域横断的な、或いは学際的な研究が叫ばれながらも、それはなかなかに困難ですが、挑んでゆかなくてはならないと改めて感じた次第です(四谷会談のメンバー各位には、今更、言うまでもないことですね)。またこの成果を一冊にまとめる際には、私も関わることになる予定ですので、その意味でも今回のシンポの射程を主体的に受けとめてゆく必要があります。
  「日欧と印との差がありすぎたように感じました。これが研究対象に起因するのか、研究主体(方法)に起因するのか・・・」ということについては、むろん双方に起因するのでしょうが、個人的には「主体(方法)」の問題であろうかと愚考します。シンポを聞きつつ、日本の寺院縁起・中国の寺院縁起・インドの寺院縁起・西欧の教会縁起(おかしな表現ですが)など異なる研究対象について、例えば「歴史学」といった共通の研究方法による分析結果を一同に提示した場合、どのようなシンポになったのかと、ふと思いました。宗教権力(寺院・教会)による在地の民衆統合とか、宗教勢力間の政治的抗争とか、縁起に刻まれた支配イデオロギーといった論点によって、それなりに容易に対話が成立したのではないでしょうか?もしそういうものであったならば、私はあまり関心を惹かれなかったかもしれません。
 以上、正に「雑感」でした・・・。

1 件のコメント:

と”ゐ さんのコメント...

ご丁寧なエントリありがとうございます<(_ _)>ご指摘の通りと言いますか、縁起のpoliticsは議論されてましたものの、poeticsが置き去りにされていたような。。。でも論集には関係されるとのこと、たいへん期待しております(^^)