何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2008年4月10日木曜日

古代文学会の連続シンポジウム

みなさまこんにちは。イノです。
これでうまく投稿できるかどうか、不安なのですが、今日は古代文学会の連続シンポジウムのお知らせです。
4月から7月まで、「神話を考える」という大きなテーマで毎月一回、シンポを開きます。イノも企画に関わっており、一昨年には、ほうじょうさんにもご登壇いただきました。
今年はまず、今週の土曜日(来月よりは第一土曜日になります)、ここのメンバーの、佐藤さんをお招きいたしました。

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日 時 2008年4月12日(土) 午後2時~5時

場 所 共立女子大学 本館 2階 204教室
     
●地下鉄「神保町」駅下車A8出口から徒歩1分
      ●地下鉄「竹橋」駅下車1b出口から徒歩3分
      ●地下鉄「九段下」駅下車6番出口から徒歩5分
連続シンポジウム「神話を考える」
第1回 「神話とスピリチュアリティ」
―神話が人の心に対してもつ治癒作用について霊能者の現場から考える―

パネリスト(1) 佐藤 壮広 氏
題 目 共苦のスピリチュアリティ:沖縄の民間巫者の身体とシマの痛み
要 旨

 沖縄の民間巫者(ユタと呼ばれる)は、戦死者を生々しく語り、その痛みさえ身体に感受することがある。彼/彼女たちは、自身の心身不調を琉球・沖縄が歴 史的に受けてきた苦難と重ねる。そして、島々に点在する聖地を「つなぎ直す」拝みによって、自身の痛みを受容し克服しようとする。現在の沖縄本島の状況へ も共振し共苦する巫者の身体と、その症状を解釈し治癒へと向かわせるものを、事例を紹介しつつ考えてみたい。

パネリスト(2) 岡部 隆志 氏
題 目 極私的神話論 ―笙野頼子『金比羅』を読む―
要 旨

 笙野頼子の「金比羅」は不思議な小説である・・・(中略)・・・・・
 考えてみれば、本当は、神話的言説とは私的なところから生まれ、その私的なものを共同的なものに転換することで生まれるというものではなかったか。その 私的な神話が公共的ものに変換されたとき、私的な神話的言説は抑圧される。例えば、私的なシャーマンであるユタが、公的な制度から抑圧されるように。
 実は「癒し」というものは、この抑圧された私的なものの側にしかない。神話が「癒し」の機能を持つとすれば、その神話が私的な側にあるからだ。抑圧され た私的な位置にあることを拒絶せずに共同化することが「癒し」なのである。抑圧された側の私的神話は、公共的な側への通路を失っているわけではない。た だ、その通路を、他者と分かち合うための大事なツールとして秘かに抱えている。
 『金比羅』は、このツールを破天荒な極私的神話という語りで獲得している。従ってこの小説に共感を示し、この小説と共有し得る何かを感じたものがいたと すれば、この現代の「癒し」の必然性、例えば、自閉的であるとか孤独であるとか、そういう時代の病を背負いながら、既成の文体によっては自己を語れないあ るいは自己を見いだせない、そういうものたちのはずである。

司 会 津田 博幸 氏

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岡部さんの「要旨」は破天荒に長いので抄出です。詳しくは、http://www.ne.jp/asahi/kodai/bungaku/reikai-annai.htm
でご覧くださいますよう。
ご案内がギリギリになってしまいましたが、お時間がとれましたなら、ぜひいらしてください。
なお、来月からのメニューは上記TOPから飛べます。コピーしたため、不必要に変わった字体になってしまいました。すみません!!





2 件のコメント:

イノ さんのコメント...

あれ?別に変な字体でもないか。でもHPアドレスから直接飛べない。。。「古代文学会」で検索していただければ、すぐに出ます。よろしくお願いいたします。

HOJO さんのコメント...

なるべく出るようにしたいのですが、4/12は学内学会の新入生歓迎講演会+懇親会があるので、残念ながら参加できません。佐藤さんとは4/14にお会いするので、そのとき様子をうかがおうと思っています。佐藤さんはずっとですが、ぼくも3月は死者関係のシンポで報告したので、「あの世」へ向けて意見交換をしたいところです。