こんにちは。イノです。
古代文学会の連続シンポ、二回目のお知らせです。
今回は学会外から中世文学(和歌、説話、宗教芸文)の小川豊生氏をお迎えいたします。
「中世神学のメチエー『天地霊覚秘書』を読む」『「偽書」の生成ー中世的思考と表現』森話社、など、日本中世の宗教的な言説を含む膨大で混沌とした言説世界に分け入り、解析されている方です。
「創作」の概念とはまったく違う、「建立」という語への注目、とても興味深いです。(神話は寺院建築や仏像・仏画と同じように「建立」される?佐藤さんが示唆された、神話と空間・場所との関係を別の角度から考えることになる?)
会員の山口敦司さんは奈良時代の日本における仏典注釈、奈良時代の僧たちが読んだであろう漢籍類(冥報記などなど!)を視野に入れつつ、『日本霊異記』の研究をされています。
連休の中日ですが、みなさま、ぜひいらしてください。
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日 時 2008年5月3日(土) 午後2時~5時場 所 共立女子大学 本館 2階 204教室
●地下鉄「神保町」駅下車A8出口から徒歩1分
●地下鉄「竹橋」駅下車1b出口から徒歩3分
●地下鉄「九段下」駅下車6番出口から徒歩5分
連続シンポジウム「神話を考える」第2回
「仏教と神話」―カノン(聖典)とメチエ(技法)としての注釈が織りなす神学の体系。―
パネリスト(1) 小川 豊生 氏
題 目 日本における「霊性」の起源と神学のメチエ
要 旨
周知のように、鈴木大拙は昭和19年、敗戦の必至を自覚しつつ『日本的霊性』を書き、そこで「日本的霊性なるものは、鎌倉時代で初めて登場した」という命題をたて、「霊性的日本の建設」を宣揚した。時期を接して折口信夫は「神道宗教化の意義」や「宮廷生活の幻想」などにおいて、「神話は神学の基礎である。…神学の為に神話はある」と、日本における神学の組織化の必要を説いた。鈴木や折口がここで主張する「霊性」の自覚や「神学」の創出というテーマは、最近もなお新たな角度から議論の対象となっているが、ここではこうした議論をより確かなものへと押し進めるための前提として、鈴木や折口が視野に入れることのなかった、中世の人々の「霊性」の受容や「神学」の実践について検証してみたいと思う。
最近の古代文学会が掲げる「霊性論」というテーマに資するためにも、いきなり「古代日本の霊性」へと遡るのでなく、まず中世の人々が「霊性」をいかなるものとして具体的に把握していたか、その霊性を通じて古代の神話をいかに作り変え、「神学」として変成していったのか、といった問題を考えるべきだと思う。
またここでは、神話や神学の再編・創造を指し示す概念として「建立」という用語にもあらたに着目してみたい。古代・中世において、「神話づくり」や「神学の組織化」の意義に該当する適切な用語を求めるとすれば、「建立」という用語がふさわしいのではないか。中世の神話関係のテキストのうちには、「吾朝の建立」あるいは「三界の建立」「世界建立」といった言葉がしばしば登場する。
「建立」という語自体はむろん遡ればきりがなく、また用例も広範囲にわたるが、中世日本の用例をみていくと、この語はある独特の位相を内包しているように思われる。とくに神話の考察において、「建立」という言葉は、いろいろな問題に波及させうる有効な「操作概念」として機能するだろう。そもそも神話は「霊性の語り」によるものであって、神話には作者はいない。神話は「創造」や「制作」「構築」といった近代の概念ではとらえることができないが、この古代や中世における「神話づくり」の特異な位相を「建立」の語の導入によって見出すことはできないか。いくつかの具体的な事例を取り上げて考えてみたいと思う。
パネリスト(2) 山口 敦史 氏
題 目 「蘇民将来」の〈神話〉と経典
要 旨
「蘇民将来」の伝承には謎が多い。『釈日本紀』や卜部兼方自筆『日本書紀神代巻』等に「備後国風土記」として収録されており、これが奈良時代成立の所謂「古風土記」か否かについては議論がある。
この伝承は形を変えて『ホ(竹+甫+皿)キ(竹+艮+皿)内伝』『神道集』等に表れ、牛頭天王信仰や祇園信仰などと結びつく。そこには陰陽道・神道・密教・中国神話など、神学体系に裏打ちされた〈偽経〉が作製され、導入される。
本発表では、古代から中世にかけて〈起源〉のために〈神学〉が形成される知的営為について考察する。
司 会 吉田 修作 氏
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(太字、改行はイノによります)