備忘録:愛と銭
二松学舎大学の人文学会第九五回大会の記念講演で、中沢新一さんが「国文学と人類学」というお話をされました。最初の20分は聞いてませんが、旧石器と新石器の違いについて話されていたようです。
内容はだいたい以下の通りでした。
- 万葉集の「伊香保ろの八尺の堰に立つ虹の、あろはろ迄も、さねをさねてば」を取り上げて折口信夫の議論にもとづきつつ、前半の自然の世界と後半の人間(性愛)の世界を「虹」という比喩が一つに結んでいる。
- 比喩とは異なる二つの世界を一つに結ぶ蝶番のようなもので、共同体外部に排除された異質、過剰な力をもつものを導入する。=詩的言語
- この異質から持ち込まれた力による言葉の活性化が文学の発生であり、この比喩は客人神と同じ働きをしている。
- ところで、虹は性愛と関係が深いのは人類学的知見からするとけっこう普遍的。『詩経』にも虹による性愛のメタファーが認められる。目加田誠訳を引用(「南山朝隮」)。
- そもそも虹はアボリジニの虹の蛇の信仰にあるよう、現実世界の外、言語を絶したドリームタイムの現実に残されたかけらである。アボリジニはアフリカを9万年前に離れてから流れ流れてオーストラリアにたどりついてきたので、人類最初期の神話が残されている。
- 人間にもドリームタイムのかけらは残されていて、それは言葉の支配する昼に対する夜の世界、夢や言葉を必要としないコミュニケーションの性愛である。
- さて、虹の蛇は雨期の前に天に昇って雨を降らすとされる。つまり豊穣をもたらすもの=富の源泉である。旧石器時代においては雨期をはじめるものとしてそこいらの水たまりの底にいたが、農耕がはじまった新石器時代においてはすみかを水源地へと移した。
- 奈良時代に立てられた寺は水源地につくられたものが多いが、その本尊は多くが十一面観音であった。十一面とは蛇の象徴である。
- 平安期に虹の根元に市が立つという俗説がながれ(『中右記』)、また昔話に虹の根元には銭が降るというものがある(『全国昔話資料集成』)。
- つまり富の源泉である虹から貨幣が生み出されるというように話が変形した。つまり外界からの力=富が貨幣として市場を流通して社会を活性化させるようになった。
- 富の流通を推し進めると富だけが流通する物流から金融の世界へと移る。貸銭を始めたのは水源地にある寺であった。『日本永代蔵』から岸和田の水間観音の話を紹介。
- 性愛という数えられないエネルギーから貨幣という数えられるエネルギーへの変化は、近代社会(技術と科学)の条件である。
- といった具合に、国文学の立場からも、現代社会の重要な構成要素である資本主義や市場経済を語ることができる。
- 愛が銭に変わる近代で、詩人が貧乏なのは何故か?と問いかけて〆。
個人的には、資本主義を教条的に批判するよりは、現在の経済活動を古代に接続することでのその意味や価値をずらしてしまおうとする試みで、たいへん好きなんですが。人間賛歌~。