何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2008年6月23日月曜日

歴史家としてのウェブ

授業で伯夷列伝を取り上げたんですが、司馬遷が、歴史家として行うべきこと/また実際に孔子が行ったことは、富や名声がなくて報われない人生を送らざるを得なかった立派な人をせめて名前だけでも残して顕彰してあげることではないか、と列伝の最初に天に問いつつ高らかに宣言しているくだりを読み直して、「加藤の乱」を連想せずにはいれませんでした(彼が立派かどうかはともかくとして)。
 してみると、政府サイト、ニュースサイト、掲示板、ブログなどの集合体/集合知としてのウェブが、結果として司馬遷が『史記』に託した思いを正しく受け継いでいるのだなあと。検索やまとめサイトによるフィルタリングのスタイルって、編年体よりも紀伝体に近いよな、とかそんな妄想をしてみました。

0 件のコメント: