何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2008年6月24日火曜日

古代文学会連続シンポ7月のお知らせ

みなさまこんにちは。
古代文学会の連続シンポ、7月のお知らせです。(今年度の、毎月一回連続のシンポはこれで最終となり、8月には箱根に二泊して集中シンポを行います。)
今回は、ファンタジー作家の荻原規子さんをお招きし、会員からは三浦佑之さんがレポート。稲生知子さんの司会で、神話の現在にとっての魅力とは何か、を考えます。
古事記に興味がある、日本神話が好き、という学生さんのなかには、必ずといってよいほど、高校時代までに『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』など荻原さんのいわゆる勾玉三部作を読んだという人がいます。
荻原作品の魅力の秘密も知りたい、というのがイノの個人的な期待でもあります。

【・・・・前略・・・「・・この土地は二度と実を結ばない。花を咲かせない。土地神を失ったからだ。国つ神にはぐくまれない土地は、生命の息吹をもたないのだ」・・・・後略】
【・・・・前略・・・「わたしは、死を賜りたいと思います。できることならば、豊葦原の人々と同じように生き、同じように年老い、死んで女神のもとで憩うことのお許しを」・・・・後略・・・】
『空色勾玉』1988年8月15日、福武書店より

******古代文学会HPより**************
古代文学会7月例会(第583回)のご案内

日 時 2008年7月5日(土) 午後2時~5時

     
1:30より入場受付。それ以前には校舎内へ入らないでください。

場 所 共立女子大学 本館 2階 204教室
     
●地下鉄「神保町」駅下車A8出口から徒歩1分
      ●地下鉄「竹橋」駅下車1b出口から徒歩3分
      ●地下鉄「九段下」駅下車6番出口から徒歩5分
      →地図

連続シンポジウム「神話を考える」
第4回 「ファンタジーと神話」
―ファンタジー創作と古事記研究の現在から日本神話の魅力を語る―

パネリスト(1) 荻原 規子 氏
題 目 わたしと日本神話―「空色勾玉」「白鳥異伝」が生まれるまで―
要 旨

 ファンタジーとは何かという、正確な定義づけはいまだにありません。初期の英米児童文学研究書が、研究対象を「リアリズム」と「ファンタジー」に大別し ていたところから、名称が始まっていると思われます。私も、ファンタジーとはリアリズムでない創作文学―空想に基づく事象が現出した創作文学と、大ざっぱ な枠組みだけで考えています。
 人間の空想力は自由奔放かというと、けっしてそうではありません。必ず連想パターンがあり、ある方向を好む癖があり、そうした連想力の強制のようなもの は、神話や伝説、民話といったところに降り積もっていきます。だから、ファンタジーを志すなら、このような伝承物語群への関心を持たずにはいられなくなる のです。
 理詰めに進めると失うものが出てくるのがファンタジーの創作なので、そうそう普遍化することはかなわず、一個人の体験しか語れません。ですが、私と日本 神話の出会い方、これに魅力を感じ、自分が日本神話をモチーフに創作したいと考えたいきさつなどを、ここでお話しできたらと考えています。

パネリスト(2) 三浦 佑之 氏
題 目 人はなぜ古事記に魅入られるのか
要 旨
 ファンタジーが何かを知らないままに言うのだが、それが、現実世界の向かい側に存在するものであるとすれば、日本書紀の対極に置 かれた古事記はファンタジーに満ちている。おそらく、敗れていったものたち、死んでしまったものたち、去っていったものたちの物語がファンタジーになるの だ。出雲神話を語るところに、ヤマトタケルやサホビメやマヨワの死をあのように語るところに、ファンタジーとしての古事記はあるのではないだろうか。

司 会 稲生 知子 氏

【ご協力ください】
(1)ビデオ・写真等の撮影はできません。
(2)録音は、個人的使用を目的とする場合のみ許可します。(著作権侵害にご注意ください)
(3)なお、当日の口頭発表は文章化して会誌『古代文学』48号(2009年3月発行予定)に掲載いたします。



1 件のコメント:

イノ さんのコメント...

続けてイノです。「四谷会談」のメンバー的には荻原ワールドはちょっとズレますかねえ。
荻原さんのブログでも紹介していただきました。ありがたいことです。
http://andante-d.way-nifty.com/blog/