何でも四谷のJ大では、夢見の古代誌、真怪研究、『冥報記』輪読、それぞれの研究グループが草木も眠れぬ真っ昼間から密談を繰り広げているそうな。

2008年6月13日金曜日

批評と研究

やれ学会だ研究会だとアチコチ移動していると”ゐです。この週末は名古屋の南山大学で「宗教と社会」学会学術大会に参加してきます。

この学会はその名の通り、「宗教と社会・文化の関わりについての学術的研究の促進、研究者同士の学際的な交流を図ることを目的とする」(学会規約より)学会ですが、そのことを研究する学者の存在意義とは何だろう? との再帰的な問いまで踏み込むと途端に話はややこしくなります。何のために宗教研究者は存在するのか? 宗教教団と宗教学者とはいかなる関係か? 広義には、実践者と研究者との関係をめぐって様々な領域で反復されるこの問いに唯一の解はありえず、むしろ繰り返し問い続けなければならない類の問いなのでしょう。最近の拙ブログでのエントリも同様の内容です。とゆーか、と”ゐはひたすら同じ問いを繰り返しているに過ぎないのですね。

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