歩く丹田の系譜−身体イメージがつなげる哲学・信仰・養生・芸能−
学習院大学で開催された「からだの文化-修行と身体像-」という研究ワークショップで、以下の研究報告を行ってきました。
図版資料などは早稲田大学が公開している『養性訣』を転載しました。
早稲田大学の古典籍総合データベースは、貴重な文献を画像でまるっと公開してくれているのでたいへんありがたいです。
また原典資料は多く近代デジタルライブラリーに拠っています。僕みたいな伝統と近代の淡いを研究しているものにとっては宝の山です。これまた感謝。
そうそう兵法者の白井鳩洲についてはウィキペディアに情報がありました。趣味的な分野はホントに強い。
質疑では夏目さんやもろさんにかなり助けてもらいました。
武智は歌舞伎、鈴木は能を参考にしている点で違うし、鈴木のバレエ理解に偏向があるというご指摘をいただきました。このへん論文化する上ではつめないといけないです。武智×鈴木の対談は『定本武智歌舞伎』にあったっけ。
コンテンポラリーダンスをされてる方からの「気」についての質問は最初かみ合ってなかったのですが、後でさらに話をして僕も質問してくれた方も一応腑に落ちたようでよかったです。個々の事例で違う認識がなされていることを積み重ねていくことで、見えてくるものを考えてみたいというのが、「丹田」をキーワードにした目的の一つだったので、こうした議論ができてよかったです。
もちろん現代に踏み込むとそこここに地雷はあるもので、斉藤孝さんや甲野善紀さんを論ずるあやうさは、まあ承知しているのですが、きちんと評価してきちんと問題にするのが研究者としての筋かなとがんばってみたいと思います。
もっとも今回馬貴派に関して初めて論の中で言及したんですが、参照できる紙媒体はおおむね現在縁の切れた人たちが関わっているので、半分中の人としては、これを読んで勘違いされても困るなと、余計な心配をしたりしている次第です。
そうした面倒も引き受けるのが方法論懇話会魂でしょうか。どうなんでしょう。